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15年後のラブソング(感想)_しっかり者の長女とダメ男たちのラブコメ

『アバウト・ア・ボーイ『ハイ・フィデリティなどで知られるイギリスの人気作家ニック・ホーンビィの小説を実写映画化した、少し苦い気持ちにさせられる大人のラブコメ。監督はジェシー・ペレッツで、2020年の日本公開映画。
以下、ネタバレを含む感想などを。

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<story>
イギリスの港町サンドクリフ。博物館で働く30代後半の女性アニーは、長年一緒に暮らす腐れ縁の恋人ダンカンと、安定しており平穏な毎日を送っていた。そんなある日、彼女のもとに1通のメールが届く。
送り主はダンカンが心酔するミュージシャンで、90年代に表舞台から姿を消した伝説のロックスター、タッカー・クロウだった。

ひとり目の駄目男、ダンカン

安定した生活が綻び始めたと感じているアニー(ローズ・バーン)、同棲しているダンカン(クリス・オダウド)、ダンカンの心酔する伝説のロック・シンガー、タッカー・クロウ(イーサン・ホーク)。本作はこの3人を中心としたラブコメとなっているのだが、とにかく男二人の駄目人間っぷりがひどい。

まず、同棲相手のダンカン。長年連れ添ったアニーという相手がいながら職場の同僚と浮気してしまうのだが、ダンカンはその理由を「気が合ったから」という。
なぜそこまで言う必要があるのかとアニーに問われ「君の質問に正直に答えたいから、正直に認めれば気分がいい」とまるで悪びれない。そりゃ、正直に答える方は気持ちがよいだろうが、それは罪を認めて正直に話す気分の良さであって、そもそも浮気をしたことによって「アニーに不誠実なことをしたという」気持ちがスッポリ抜けてしまっている。聞かされる方はタマったものじゃない。

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さらに、アニーと別れてからもしれっとヨリを戻そうとするも「あなたの崇拝する人が私と親しくしたからでしょ」と言われてもそれを否定しない。こういうダンカンの姿勢から、とても自己中心的な男だということがよく伝わってくる。

しかし、そんなダンカンにも共感出来るところがあって、憧れのタッカーと一緒に食事をして、熱い思いを否定されたダンカンが、去り際に言うセリフは真っ当だ。

アートは作者のためじゃない
僕はあのアルバムを何よりも評価する
完璧だからじゃなく
僕には大切だから

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たしかに。
音楽を聴く側からすると、その音楽から伝わる断片的な情報を寄せ集めてあれこれ想像するのは楽しいし、しまいにはその空想を真実だと思いこんでしまうところはある。それに一度発表された作品の解釈は、受け手に委ねられるというのは真理だ。

またしても駄目男に惹かれる性分のアニー

アニーはダンカンとの15年もの生活にピリオド打つことになるのだが、次のお相手となるタッカーもまあ酷い。まず、前妻のガレージに住み込んでいて無職だ。そうして子どもが5人いるがそれぞれに母親が4人もいる。
面倒な問題からはとにかく逃げてきたので、心臓発作で入院したタッカーに対して母親たちが集まってきて収拾がつかなくなるし、子どもから「自分たちの存在を迷惑だと思っている」と痛いところを突かれる。

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そんな修羅場に居合わせたのに、アニーはタッカーを見捨てることはせず、むしろ自宅まで連れて来てしまう。

そうして、アニーの務める博物館の展覧会で展示した昔の写真に写っていたおばあちゃんから、写真の男性からの誘いを断って以来84年の人生何もないままよ。と聞かされて怖くなったのか、すかさずアニーはタッカーへ「自分に対して、性的に興味があるか」と聞くことになるのだが、この行動の早さに思わず笑ってしまう。

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対照的な存在として妹のロズがいる。ロズは自由奔放に相手を選び、結婚相手がいてもアプローチする。しかもレズビアンでとっかえひっかえ恋人が変わり、相手が途切れることは無い。
アニーは早くに両親を無くし妹の面倒を見てきたことや、父の博物館を望んでいないのに継いだりと、面倒見の良い長女の性分が発揮されているということがよくわかる。だから駄目男に惚れて苦労を背負い込むことになるのだが本人はそれが正しいと信じ込んでしまっていた。

自立してロンドンへ行くアニー

若い頃と意識が変わってやっぱり自分の子供が欲しいアニーと、子供を欲しがらないくせに浮気をするダンカン。やっとそんな駄目男と別れたのに、またしても駄目男に引っかかるという、はっきり言って幸薄いアラフォー女の暗いストーリーになりそうなところだが、楽観的でユーモア多めに描かれているので深刻さはほとんど無い。

ロンドンで小さな画廊の仕事を見つけて子どもを産むことを決心したアニー(子どもの親については触れられない)。
親から受け継いだ博物館を辞め、妹の面倒を見ることをやめたという意思表示だと思うのだが。男に依存せずに、程よい距離感で付き合うことにして、一人でも子どもを産むことを選んだと捉えられる。

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最後、アニーとタッカーがロンドンの街角で出会うシーンで終わるのだが、結局二人が一緒に暮らしているのかは分からないが、タッカーが家を手に入れたという話もあるので遠距離恋愛なのかもしれない。
それとも、タッカーが久しぶりに発表したアルバムの曲名に、「I KNOW ANNIE」とあって、ダンカンがアルバムを酷評していることからひょっとしたらこの二人は一緒に暮らしているのかもしれない。

いずれにせよ、アニーが自分の幸せを掴むために、変化を恐れずに行動を起こすとの大事さだ伝わる終わり方になっていて、これはこれで良かったのだと思う。そういう意味では、15年かけて真実の愛を見つけたというよりも、15年かけて自分の生きる道を見つけたというニュアンスの方が遥かに大事なだと思うのだが、邦題の付け方はちょっと問題有りか。

それにしても、『マギーズ・プラン』『ブルーに生まれついて』でも思ったのだが、イーサン・ホークの憎めない駄目男っぷりは板についている。以前なにかのラジオで脳科学者が言っていたのだが、女性は「子育てを手伝う男」か「自分の遺伝子を残してくれる男」のいずれかに惹かれやすい とのこと。イーサン・ホークの役はまさしく後者のそれだ。

かなり捻くれたユーモアのセンス

この映画ユーモアのセンスはかなり捻くれていると思っていて、そのなかでもとくに印象的で、観終わったあとにしみじみと笑いがこみ上げてくるというか、思わず苦笑してしまうシーンが2つあった。

レアテイクを早く聴きたいダンカンがポータブルプレイヤーにCDを入れるも電池が無い。そうして、電池を買っておかないアニーが悪いと糾弾するダンカンに対して、アニーは自分の電動バイブから電池を抜き出すのだが、それについてダンカンはおかまいなしだ。
しかもその電池で再生したCDプレイヤーで流れる音楽を聴きながら涙を流すダンカンという一連の流れにジワジワくる。

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また、ダンカンがはじめてタッカーと出会ったシーンで、まさか憧れのタッカー本人だと思わないダンカンが「アイム・スティービー・ファッキン・ワンダー」と言うのだが、同じ原作者の『ハイ・フィデリティ』でもレコード屋の店員バリー(ジャック・ブラック)が、娘へのプレゼントにスティービーワンダーのレコードを求める客に対して「オタクの娘さんは危篤状態なのかい」とディスっていた記憶があるのだけど、ニック・ホーンビーはよっぽどスティービー・ワンダーのことが嫌いなのか。
というよりも、ダンカンやバリーのようないわゆる「濃すぎる音楽オタク」が見下す一般人の趣向としてスティービー・ワンダーが象徴的なのだろうけど。つまりロクに音楽を聴かないような人間が、したり顔でフェイバリットに挙げがちなアーティストがスティービー・ワンダーということなのかもしれない。


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