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誠実な詐欺師(感想)_他人の領域へ踏み込むことによる軋轢

『誠実な詐欺師』の著者はトーベ・ヤンソン。訳は冨原眞弓となり日本での初版は1955年。
若く聡明で論理的なカトリと、老いて穏やかな性格のアンナ。
異なる自我を持つ二人の女性が同居する過程で軋轢が生じるが、なんとなく話しがまとまって、優しく語りかけてくれるような小説となっている。
以下、ネタバレを含む感想を。

村で異質な存在のカトリ

冬には一面の雪に覆われる海辺の村ヴェステルビィに暮らす25歳の女性、カトリ・クリングは10歳離れた弟のマッツと一緒に雑貨店の屋根裏に住んでいる。カトリは犬(シェパード)を飼っており、外に出る際に連れて歩くが名前をつけず、飼い慣らしていないから犬も飼い主へ尻尾を振って甘えたりしない。

わたしと犬は互いを尊重する。わたしは秘密めいた犬の生活、本来の野生をまだすこしは宿している大きな犬の秘密を尊重する。だからといって信頼したりはしない。

[11ページ]

このような犬に対する接し方は村の人々に対する態度にも似ている。頼まれたら隣人との揉め事の仲裁などをするが、愛想はないしおべっかも言わずに、必要以上に他人のプライベートへ立ち入ろうという気が無い。

カトリは黄色い眼と愛想のない性格もあって村では浮いた存在で、子どもたちからは魔女と呼ばれている。
数字に強く公正な判断もするし知識もあるから、村人から契約・遺書・隣家との境界線など、様々な問題について相談を受けることもある。
以前は雑貨店の手伝いをしていたが辞めて、他の村人同様に鉤編みのベッドカヴァーをつくって生計を立てているものの、夜にはベッドで生涯不自由しないよう大金を「誠実に」手に入れたいと考え、目星もつけている。

裕福だから余裕のあるアンナ

村人たちから<兎屋敷>と呼ばれる家に一人で住まうアンナ・アエメリンは老いた絵本作家で絵を描くのを生業にしており、親の遺産として受け継いだ家と描いた絵の印税や登録商標の収入まである。
必要なものは雑貨店が届けてくれるし、週に一度はスンドブルム夫人が掃除にも来てくれるから冬の間はほとんど家から出てこない。
しかし実際のところアンナは雑貨店の主人や出版社など、様々な人たちから少しづつ不当に金を取られているのだが、そもそも金銭に困っておらず鷹揚な性格のせいか気にする様子も無い。

数字が得意なカトリは恐らく雑貨店で働いている際に目星をつけ、金を稼ぐことに無頓着で騙されやすいアンナの稼ぎを増やす代わりに、稼ぎの一部を貰おうとしているわけだ。

いいですか、余裕があるからこそお金のことなど考えずにすむ可能性、寛大になれる可能性、お金がないときには生まれる余地もない新しい考え(イデー)を抱く可能性なんです

[116ページ]

カトリが金の心配をしないで済むことの重要性について説くシーンがあるのだが、これは成功するまで貧しい生活をしていたトーベ・ヤンソンならではの気持ちのこもった言葉だと思う。

カトリはアンナの家に住み着くことを計画するわけだが、まずアンナの家に忍び込んで泥棒を装うことで一人暮らしが危険だと村人たちに煽らせる。「誠実に」といいながらも、目的を達成するための手段が大胆過ぎて笑える。

対照的な性格の2人

カトリとアンナは村から浮いた存在という面では似ているが、協調性や他者への共感という面で、大きく異なる価値観を持っている。
カトリは様々な知識があって聡く、自分の正しいと思ったことを遂行する実行力もある。しかし愛想がなくて正直過ぎるが故に不器用な面があって、幾人からは恐れられている。

対してアンナは金に不自由せずに過ごしたせいか、とても穏やかな性格で揉め事を嫌う。だから不当に金を搾取されていることをカトリから指摘されても、揉めるくらいなら多めに金を払って穏便に済ませたいようなことを言う。

とても対照的な二人なのだが、アンナの家にカトリの弟と犬も含め同居していく過程でそれぞれに変化していく。
カトリは自分の正しいと信じていたものの脆さに気付き、アンナは他人に不信感を持ってしまうようになって、さらに弟のマッツはカトリに意見するようになり、犬は混乱してカトリの言いなりにならなくなる。

アンナとカトリの変化

ボートの完成後カトリはアンナに対して「ほかの人はあなたを騙したりしなかった」と意見を改め、風景を描きに外へ出たアンナが兎を描かなくなった理由を考えてみる。

カトリはアンナの収入を倍増させて、その対価としていくらか貰ってきた。しかし、その弊害としてアンナは周囲の人々に対して不信感を持つようになってしまう。
上っ面だけのコミュニケーションだったとはいえアンナはそんなことを気にもせず、必要十分な蓄えと収入があったのだから、さらなる収入を欲しいとは考えていなかったのだから、ある意味カトリのした行いは「余計なこと」ともいえる。

だから、カトリからしたらボートに”カトリ”と名付けようと提案したアンナの心遣いが決め手となり、自分のしてきたことが本当に誠実な対応だったのか、と自省した上での「ほかの人はあなたを騙したりしなかった」という言葉が出たのだと思う。(もちろん、マッツにボートを与える目的を達成してぎくしゃくしていた関係も和解し、冷静になれたのもあるだろうが)

アンナの立場からすると、以前と違って村人たちへ不信感を持つことによる生きづらさは生じてしまい、見たくないものから目を背けることが出来なくなった。
しかしその結果、自分の正直な気持ちに向き合うことで他人の意見や目線を気にせずに自らが正しいと思うことと向き合うようになった。だからファンの子供たちの期待の象徴ともいえる兎を描かなくなったのだと思う。

またこれは直接的に書かれていないために想像となるのだが、アンナと両親の関係性も気になる。
恐らく父親は子供にも厳しく接する人で、アンナにとって恐怖の対象だから愛情に飢えていて、その寂しさを紛らわすために絵画を描くようになったのかもしれない。
自らのファンや村人たちを、必要以上に傷つけまいとする態度に少し卑屈さを感じるのは、ひょっとすると厳しい父親の影響があったのかもしれない。


他人を信じず数字や契約などルールを守るカトリと、鷹揚な性格のアンナの対比は、それぞれ共感できるところがあるので考えさせられる。
ムーミンシリーズでも同じように感じたのだけれど、トーベ・ヤンソンはそれぞれの立場に対して、結論を曖昧にしたまま自由で優しい目線で書いているのがとても印象深い。

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