見出し画像

水は海に向かって流れる(感想)_怒っていたことを誰かに知ってもらうこと

「 水は海に向かって流れる」は2018~2020年に「別冊少年マガジン」で連載されていた漫画で、著者は田島列島。
ボーイミーツガールなんだけども親の過ちそのものではなく、その過ちを知ったうえでどう行動するのかということを通して、子どもたちの成長をえがいているところにとても丁寧な印象を受ける作品。
以下はネタバレを含む感想などを。

繊細な心理描写が丁寧に描かれている

熊沢直達は高校に近いからということで親元を離れて叔父の住まうシェアハウスに引っ越すことになる。直達は最寄りの駅に着いたものの仕事で手を離せない叔父の代わりに迎えに来てくれたのは26歳のOL榊千紗で、家に着くと手作りの牛丼をふるまわれることになる。このとき直達は千紗に一目惚れしているのだが、牛丼の肉が旨すぎたことと、千紗を叔父の彼女と勘違いしていたことで気持ちの整理が追いつかない。

直達と千紗の両親は10年前にW不倫をしており、千紗は直達がその息子だと気付いたが、直達は父が不倫していたことすら知らない。
また、直達をシェアハウスへ招いた叔父は不倫したことを知ってはいるが、千紗がその相手の娘だということまでは知らなかった。

さらに、シェアハウスに同居する教授や、直達のクラスメート泉谷楓とその兄と、それぞれの登場人物たちが断片的に二人の関係性、行動についての情報を持つことになるのだが、読者は誰がどの情報を持っているのかという状況を俯瞰して見ることができる。
だから、事情を知らない叔父が一方的に千紗に怒っていたり、楓の好意に気付かずに直達が恋愛しないと言っていたりと、登場人物それぞれの心理や行動にやきもきしたりすることになるのだけど、そういう繊細な描写が丁寧でうまい。

不倫をした張本人や不倫をされた側の大人たちは、過去のこととして折り合いをつけて日常を過ごしている。
しかし直達と千紗二人にとっては10年前の出来事であっても現在進行系でそれぞれの人格に大きな影響を与えていた。以下2人それぞれの立場からどのような影響を与えているのかを考えてみる。

わがままを言えない直達

直達は歓迎会のあと、千紗と教授の会話を盗み聞きしたことで父の不倫のことを知り、叔父から詳細を聞き出そうとするも断られる。さらに、千紗から釘を刺されるとあっさり深追いすることをやめようと考えるのは、直達が千紗に嫌われたくなかったから。

しかし直達には、楓から自制心旺盛と言われたり、千紗からは「いい子」と言われたりと、あまり自分の意志を強く出さないところがあって、それは幼い頃に父のいなくなった原因が「わがままを言った自分にあった」という思い込みもあったから。
不倫の詳細は物語の中で語られないので想像するしか無いのだが、恐らく原因が直達にあったというのは勘違いと思われるも、幼い頃に聞き分けの良い人間であることを自ら刷り込んでしまったから、千紗から言い含められてあっさり引き下がったことも考えられる。
そんな直達も、父の不倫を知ってしまったと千紗にバレてからは、千紗の背負うものを半分持たせて欲しいと一歩を踏み出す。それは、子ども扱いされることへの反抗もあったのだろうが、直達が千紗に恋をしているから。

しかし、叔父に真実を話したところで、ひとつ屋根の下に複雑な関係性の人間が同居しているという状況までは変わらないのだが、それでも千紗は探偵の調査によって母の居場所が分かっても、今まで通り暮らしたいと折り合いをつけようとする。
そんな千紗を見た直達は、涙を流しながら自らを抑圧していたことを自覚するのだが、何も無かったかのように過ごそうとする千紗の態度が、直達自身に重なって共感するものがあったのだろう。

怒るつもりで訪れた千紗の母に会ったところで直達は怒ることが出来ず、結局は自分からも他人からも逃げていたと告白する。直達は自分の冷静過ぎるところに気付いてしまったわけだが、千紗による「冷たいとかじゃなくて、冷静な人なんだよ」の一言に救われ、ダメなところを無理に直そうとするのではなく、見方を変えて長所にするところに千紗の優しさが見える。

とはいえ、自分の父のしでかしたことなのに千紗に対して罪悪感を感じたり、父に金の無心をしたことに心を痛めたりと、直達は本当にいい子なのだが。

千紗のやり場の無い怒り

直達が猫を拾ってきて玄関先で寝た翌日、怒っているかと訊かれた千紗は「怒ってもしょうもないことばかりじゃないの」とこたえるのだが、この言葉には「本当は怒りたいけども~」という一言が隠されている。

何に対して怒りたいのかというと、母が親としての役目を放棄して女として生きる選択をしたこともあるだろうし、大好きだったのに裏切られた思いもあったのだろう。恋愛しないと決めたのも、「好きな人ができたらわかるわ」と言った母へのあてつけでもあり、母のいなくなった10年以上もの間、拗ね続けているともいえる。
とはいえ、怒ったところで母が謝罪してくれるわけでも帰って来るわけでももない。だから振り上げた拳の降ろし方が分からなくなった半ば諦め気味の「怒ってもしょうもないことばかりじゃないの」と思われる。

しかし実際に母に会ってみると、感情が昂ぶって千紗は子どものように怒り出すのだが、謝罪されたところで何も無かったことにはならないし、新しい生活を手にした母に今更してもらえることなんて無かったことに改めて気付いてしまったのだろう。
そうして冷静になってみると、恋愛しないと決めたことをバカバカしいと言っているが、これは母に捨てられてからの10年を自分自身で否定しているともとれる。

だからこそ、怒っていたことを無かったことにしないために、ずっと覚えておくと直達は約束するのだが、それは直達が千紗の部屋で泣いたいたときに「怒りたかったことを知っておいて欲しかった」と気付けたからでもある。

このあたりの親の不倫によって傷ついた子どもたちの物語としての収め方が秀逸で、消極的な解決にも思えるけれども、誰かを傷つけたりせずに、傷ついた自分たちの心の摩耗をお互いに分かち合おうとしているところが美しい。
「あなたに必要とされなきゃ意味がないんだ」も唐突だったが、覚えておくことが直達によるダメ押しの告白にもなっているところもまた良い。

最後、千紗がシェアルームを飛び出して1年の冷却期間をおくのは意外だった。直達に罪悪感を持って欲しくないのも、時間をおいても大丈夫という確信が欲しいのは分かるし、不倫相手同士の子どもということでそれぞれの家族への配慮もあったろう。
そうして現実問題、歳の差も大きい。直達が大学を出て社会人になる頃に千紗は32歳になっていて子どもを産むなら将来も気になる。
または10年間拗らせたことで恋愛に臆病になっていたのもあるのかもしれないが、いずれにせよ複雑な思いが絡まったうえでの千紗の決断なので、振り切った「最高の人生にしようぜ」という言葉の清々しさと言ったらない。
素晴らしい終わり方だと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?