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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(映画)感想_人々はおおらかで、勢いのある60年代末に憧れる

クエンティン・タランティーノ監督による1999年作品を観たので感想などを。レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットの共演作品。

<ストーリー>
リック・ダルトンはピークを過ぎたTV俳優。
スターへの道が拓けず焦る日々が続いていた。
そんな彼を支えるクリフ・ブースは彼に雇われた付き人でスタントマン、親友でもある
エンタテインメント業界に精神をすり減らし情緒不安定なリックとは対照的に、いつも自分らしさを失わないクリフ。
そんなある日、リックの隣に時代の寵児ロマン・ポランスキー監督と女優シャロン・テート夫妻が越してくる。
自分たちとは対照的な二人の輝きに触れたリックは、俳優としての光明を求めイタリアでマカロニ・ウエスタン映画に出演する決意をするが—。

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60年代後半のLA。落ち目の俳優リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)とその付き人で専属スタントマンでもあるクリフ・ブース(ブラッド・ピット)。そうしてリック・ダルトン邸の隣へ越してきたポランスキー監督の妻シャロン。主にこの3人の生活や仕事ぶりが描かれており、ストーリー後半は『シャロン・テート殺害事件』をなぞらえた展開となっているので前知識があった方が楽しめる。(自分は知らない状態で鑑賞)

かつては西部劇をテーマにしたTVドラマで主役を張っていたリック・ダルトンだが、最近はパイロット版のドラマの悪役の依頼しか来ず俳優としては下り坂。クリフはリックのスタントマンとしての仕事もしているので、リックに仕事が来ないとスタントの仕事も干されるようになってしまう。しかもクリフは妻殺しの噂があり、一部の業界人から仕事の依頼を嫌がられている。
シャロン・テートは自分の出演した映画館へ鑑賞しに行ったり、パーティへ出向くシーンがあるだけで、女優であること以外は普通の愛らしい女性のよう。

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俳優とスタントマンが深い絆で結ばれている友情劇

リックはアル中気味で演技中にセリフを忘れる失態をおかすも、凄みを効かせた演技力とアドリブで乗り切るシーンが見せ場となっており、落ち込んでもすぐに復活したりと感情の起伏が激しく可笑しい。
クリフはカシアス・クレイさえ倒せると豪語するブルース・リーをコケにしたことで、ブルースから闘いを挑まれることになるもブルースと互角以上の格闘の腕前がある。また、若いヒッピーをヒッチハイクでスパーン映画牧場へ拾って送り届けた後のシーンにやたらと緊迫感があるのだが、自分は『シャロン・テート殺害事件』の知識が無いため、なぜ場の雰囲気が張り詰めているのかが分からず残念。

その後、リックとクリフはイタリア映画へ出演して一儲けしてLAへ戻って来るも、リックの俳優としてのピークは過ぎているため公私ともに関係を築いてきたクリフを雇い続けることが出来なくなる。二人で深夜まで飲み明かして帰宅してきたところへ、ヒッピー3人組がリックの豪邸を襲撃してきたところをクリフ達に撃退されることになる。(現実ではシャロンの家が襲撃)
最後の格闘シーンは銃と犬とナイフが入り乱れて、果ては火炎放射器まで登場する荒唐無稽な演出はがタランティーノ作品ならでは。(これくらい普通だと解っているのだが、残虐性があるためグロシーンに耐性の無い自分には少し苦手なシーン)

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移り変わるエンターテイメント産業とヒッピー文化の終焉

時代と共に様々な娯楽が登場してくることで、徐々に映画が娯楽の中心では無くなっていく。世の中の価値感が移ろいでゆく過程で映画産業の中でもリックのようなマッチョな俳優の出番は無くなり、細身でスマートな俳優が主役に抜擢されるように世代交代していく。
さらに、ドラッグを売買し自然と共生しながらのフリーセックスを謳歌していたヒッピー文化も徐々に下火になっていく。

そうやって世の中の空気が変わっていく60年代末の最後の輝きが閉じ込められているのがこの作品の大きな特徴となんだと思う。
人々がまだ映画館へ足を運ぶ時代で、映画が娯楽として大きな役割を占めているから業界に関わる人々に活気や夢があって、道端には女性が一人でヒッチハイクをしている。何しろ現在とは違うとてもおおらかな時代だったと思うし、強かった時代のアメリカが感じ取れる。

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60年代後半の音楽のグルーヴ感と疾走する当時の車と街並み

当時のレコーディング技術を考えたら当然なのだろうけど、スタジオでのライブ音源をそのまま一発録りでパッケージングした演奏は現代の楽曲とは違う独特の緊迫感がある。
そうして、当時のキャデラックなどの車後方からのアングルによる街並みやネオンサインの映像と、60sのグルーブ感のある音楽の組み合わせはよく出来たミュージック・クリップのようでとても良い気分にさせてくれる。自分にとってこの映画の一番の魅力はそういう享楽的な雰囲気を楽しめるのところだ。(特にDeep PurpleによるHushのかかるシーンが好き)
いずれにせよ、全体を通しての感想としては古き良き時代を再現した街並みやファッションなどが再現された映像を眺めているだけでも価値ある映画だと思う。

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ヒッピーとブルース・リーに対する演出は、フィクションであることを強調しているのか

映画を観ていて違和感を感じた箇所が2つあって、ひとつがヒッピーへの印象を悪くする演出が多いのこと。クリフがヒッチハイクした少女(プッシーキャット)から「フェラしようか」と提案されて冷たくあしらうシーンであったり、スパーン映画牧場でヒッピーたちが怠惰に過ごす様子、さらに最後の襲撃シーンにしてもヒッピー側にはほとんど見せ場が無いし、クリフ邸を襲う理由も稚拙だ。

もうひとつの違和感は、クリフがブルース・リーを叩きのめすシーンは何の必要があったのか。若くして亡くなったこともあり神格化されているブルース・リーを貶めるようなシーンとなっている思うのだがクリフの強さを説明するためだとしても過剰に思える。
キル・ビルの衣装からもタランティーノ監督はブルース・リーのファンであることが想像されるので何らか狙いがあってのことかもしれないが。

一般的に「昔々あるところに~」で始まる物語はストーリーの完成度は高いが、事実の部分は限りなく少なく、むしろフィクションの占める割合が多い。
「Once Upon A Time~ 」とタイトルへ入れることで、ブルースの弱さやシャロン・テートが事実に反して死なないことも含めて、本作品がフィクションだということを改めて強調したかったのかもしれない。つまり、ストーリーの完成度を高めるために必要な演出だったとは考えられる。

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