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愛猫への最期の願い事

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なんて、苦しい。
胸が張り裂けるなんて言葉じゃ足りない。

約20年、彼女と生きてきた。

26歳の私にとって、今までの人生をともに過ごしてきた幼なじみで、仲間で、かけがえのない家族だった。

私の庭に兄弟とともに連れられてきたあの日、
母は籠に入れて、彼女を持ち帰ってきた。
まだ猫缶を食べれないような幼い彼女を
手のひらにのせて、ほとんど重みもないような軽い体を和室に運び入れた。

「ミニャァ、ミニャァ」
まだ、ニャーと鳴けないような彼女に、
鮭の切り身を手でほぐして、ミルクとともに与える日々が続いた。
和室から離れ、彼女を残すのが不安で、可愛くて、可愛くて、四六時中傍で様子をみていた。
寝ぼけた私が、彼女の鮭をつまんで、食べようとしたこともあったが、あれは愛しい笑い話である。

母は大人らしく、先住猫のことを想い、彼女を里親に出そうと電話をかけていた。
私は子どもであるので、彼女を抱えて泣き叫び抵抗した。心から愛情をもっていた。

晴れて家族の一員になった彼女は、
野良猫出身ということもあり
先住猫を蹴散らすほどの気の強さで、
「シャーシャー」
とひっきりなしに威嚇していた。
「ニャーニャー」
と鳴けるようになった頃、
慣れは彼女の性格を丸くさせ、先住猫と寝姿が同じになるほど一緒にいるようになった。
屋根に登ってみたり、網戸を開けて脱走しては自力で帰ってきたりと、賢い彼女は、鈍感で優しい先住猫と違って、要領良くパワフルに生きていた。

先住猫が亡くなると、甘え先を失った彼女は、人間にそれとなく甘えるようになった。お風呂も就寝も、どこへ行くにもさり気なくついてきては、様子を伺い、甘えにくる。甘えにこれないような日には、撫でてもらえなくてもゴロゴロと喉を鳴らしていた。


2024年7月6日
七夕の前借り


健やかに寝ていた彼女の様子が急変した。劈くような酷い鳴き声に、両足がだらんと動かず、嘔吐し、呼吸ができていなかった。
診断は、心筋症。心臓は機能しておらず、肺に水が溜まっていた。血栓が足に詰まり、両足に血が通っていなかったため、激痛のようであった。

15:00から酸素を吸いながら、血管に直接投入される痛み止めを受け入れ、
彼女は頑張って生きてくれていた。
ありがとう。
4時間後の19:00。家に戻り、家族全員に見守られながら、最期の愛しい時を過ごした。
心の準備もできない4時間だった。

心臓が微かに動いている時、
「頑張って、頑張って」
心臓が止まった時、
「今まで、ありがとうね」
と声をかけ続けて。

ああしてあげれば良かったなんて、後悔がない別れなんてない。悲しいのは当たり前で、自然なこと。
何度言い聞かせても、空っぽになったお皿を見るだけで嗚咽するほど泣いた。

首が落ちた冷たい身体を抱くと、私が最後に病院に連れて行った時の重さではなくなっていた。初めて彼女を手のひらにのせた時のような、持っていないような軽さだった。
家族全員に、順に抱き抱えられて、きっと彼女は、撫でてもらえなくてもゴロゴロと喉を鳴らしていたのだろう。

泣き崩れる母の
「生まれ変わっても拾ってあげるからね」という言葉は届いただろうか。

明日は七夕。
"家族が揃うまで頑張ってほしい"
という私の心の中の願い事は、七夕の前借りだったのかもしれない。家族が揃うまで頑張ってくれてありがとう。最後の最期で、自分勝手な願いでごめんねと、少しでも苦しまずに過ごせていたら良いなと思う。

「彼女の人生は幸せだったのだろうか」と、

応えのない答えが頭を一杯にして、都合の良い解釈で祈ることしかできない。


2024年7月7日
七夕の日


目が覚めたら彼女が
「ニャー」と
擦り寄ってくる夢を見た。
擦り寄ってくることはもうないけれど、
まるで、眠っているように安らかな顔で彼女が毛布にくるまれ、そこに居てくれた。

頭痛薬を飲んで、目が開かないほど腫れた顔を向けて、昨晩より硬く冷たく石のようになった彼女の頭を撫でると、涙が止まらなかった。しかしまだ、確かにそこに、柔らかな黒と橙の毛が感じることができる。

お線香を焚き、猫缶、おやつ、ソーセージを沢山並べて。こんな豪勢な食事があるのに、幸せそうに食べる彼女がいなければ意味が無い。

大切なものは失ってから気づくというが、失う前からずっと、ずっと、大切さに気づいていた。
異常なまでの鳴き方をしている日々、深夜でも早朝でも駆けつけて撫でた。もう永くはないのかもしれないと意識的に感じていた。

私は近々、母の元を離れる。
様々な傷をもつ母を独りにしたくなくて
身体の小さな彼女に、
「お母さんをよろしくね」と
常々声をかけていた。
可愛らしい顔で、はて、何かを言っているなといった調子で見つめ返されていた。

心拍が弱まった彼女に、
「あなたが先に逝ってしまっては、母は独りになってしまうよ」
と、笑おうとしたのに笑えなかった。
彼女には重役だったのかもしれないね。
ごめんね。

そんなこともう言わないからさ、
一年に1度でも会いにおいで。


2024年7月8日
七夕とともに

街に飾られた人々の願い事は、外されていた。
街は何も無かったように、いつもの"日常"に戻った。

仕事を早退し、火葬場に花束をもって行く。
彼女が盗み食いしていたかすみ草。
家族全員で摘み取った猫じゃらし。
私は火葬場での時間が最も悲くて、嫌いだ。
毛頭、好きな人などいないが、もう二度と、もう二度と、あの黒と橙の毛に触ることができないのだと思うと想像するだけで、胸が張り裂けそうになる。

火葬場に着くと、
彼女の毛をとり、家族分の袋に入れ、渡してくださった。そして、肉球の型をとり、小ぶりで可愛らしい形を残してくださった。
彼女の生きていた証を、目に見える形で持てることが嬉しい。
彼女の周りには、かすみ草、猫じゃらし、おやつ、手を合わせに来てくれた方々の色とりどりのお花を添え入れた。
小さな頭の下には、高齢で見送りができない祖母が編んだ毛糸の枕を敷き、皆の想いをのせた。
小ぶりな頭を手のひらで撫でた。
もしかしたら、目を開けて、可愛らしい顔で、はて、何かを言っているなといった調子で見つめ返してくれないかと期待する。
夏場の火葬場は、想像を絶する暑さであるが、時間一杯に家族の時間を過ごせたことは、この上ない幸せだった。

お骨になった彼女のひとつひとつを
丁寧に丁寧におさめていく。
蓋を閉める前、骨になった頭を人差し指でなでた。更に小さくなった頭に涙が溢れた。
「撫でられるのは、これで最後だね」

ここに書くのも苦しい時間だった。
只管に、泣いて過ぎ行く時間を耐える他なかった。
私にはまだ向き合えない時間なのだと思う。

何も無い、何も無さすぎて
彼女がいない。
私たちにとって、戻ってきたのは"日常"ではなかった。私の願い事も片付けられてしまった。

残ったのは、彼女から与えてもらったもの。
愛することも、
深い悲しみも喪失も、
その全てが彼女から与えてもらったもの。

私も彼女へ返したい。
"あなたを、家族全員が愛していましたよ"


後記:

ここに書くことで自分の気持ちと少しでも向き合い、愛しい日々を留めておきたいと思いました。
まだ、「天国でゆっくりしてね」と言えるほど整理がついていません。今は整理をつけたくない、そんな心持ちです。
ただ、私がその場にいなければ彼女は独りで誰にも気付かれずひっそりと亡くなっていた。家族に見守られていた瞬間は、幸せであっていてほしいと思います。
彼女との約20年の愛しい日々を綴れたことに感謝しています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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