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イギリス留学カンタベリー:身近にいたクリスチャン

  • 留学する前に掲げた二つの目標

    • 語学(英語でコミュニケーションをとれるようになる)

    • 宗教学(現地の宗教の様子をこの目で見る)

現地の宗教の様子を見ると言っても、留学先のカンタベリーにコネも何もない。だからとりあえず必死になって英語に取り組んだ。

「日本語を話さないように、日本人と話さない」

猪突猛進にただ頑張っている私は周りが見えていなかった。そんな時、アジア出身の人達皆でどこかに行ってみないかと声をかけられた。韓国・台湾・日本人でちょっとした遠足でかけた。

そしたら意外な事実を知った。当時学校に在籍していた3人の日本人の内の1人が、実はクリスチャンだったのだ。

身近にいた日本人のキリスト教徒

私がその人がクリスチャンだと知ったのは、たまたま偶然。私が宗教学の一環で興味があると友人に話したことから、友人から友人へという具合に間接的に知ったのだ。

アジア出身の友人から、実は日本人クリスチャンだった友人へ伝わったのだ。

さっそく本人に話を聞いてみることに。久しぶりの日本語での会話になんだかこちらもほっとしている自分がいた。

その日本人クリスチャンの友人は既に長くイギリスに滞在していた。英語も流暢。自分も通ってきた道だからと英語に必死だった私を気遣ってか、向こうも私に日本語で話しかけるのを遠慮してくれていたようだ。

「とりあえず英語頑張る!」と目の前の事だけに必死になっていた私は、なんだか馬鹿みたいに思えた。結局、目の前のことしか見えず、いろんなものが見えていなかったのだ。

事情を話すと快く了承してくれた。友人もキリスト教に興味を持ってもらえることが嬉しようで、お互いに話が弾んだ。

この出来事について私こんなメモを残していた。

力の入れ所、力の抜き所

普段から気を張っていると、周り人も気を使ってしまう。

確かに頑張ることは決して悪いことではないが、目の前のことだけに集中すると周りが見えなくなってしまう。きっとそうやって知らないうちに、チャンスを棒に振ってしまうこともあるのだろう。

気をずっと張ったままの心。それは力が入りすぎてこわばっている身体と似たようなもの。

いざっていう時に力をいれるには、構えがガチガチだと全く力が入らない。これはスポーツをしている時にもよく言われていたことだ。

自分が狙うポイントで最大限の力を出すには、構える時に力を抜いておく必要がある。

身体にも心にも人間関係にも、また英語にも言えることかもしれない。

英語をちゃんとしゃべろうとすればするほど、緊張してしまって何も話せなくなってしまう。完璧にと思えば思うほど、小さなミスが気になってしゃべれない。

結果、自信も無くなってきて話せない、聞き取れないと思いこんでしまう。

友人と酒場(イングリッシュパブ)で飲んでおしゃべりしている方が、案外しゃべれたりするものだった。

そういえば、日本語でもちゃんとは聞き取っていないらしい。全部を聞き取ろうとはしていない。大事なフレーズを聞き分けているから会話が成り立つみたいだ。

要は会話、コミュニケーションをとるには、相手に何を伝えたいか。そこだけを明確に、後は雑でもなんとかなるってことなのかな。

聞くときも一緒。ちゃんと相手を観て話してくれる人なら、大事なフレーズは強調してくれる。

全部完璧に聞き取ろうとせず、相手が何を伝えたいか。大事なところ、強調してくれる所をまず聞きとりさえすれば、問題はないのだろう。

それに会話なんだから、わからなかったら、聞き直したらいいだけの事だ。

別に合格、不合格があるもんじゃない。 そう考えると、大分気が楽になった。


振り返ってみる(書いてみると)と一瞬ですが、実際は1,2ヶ月は悶々とした日々を過ごしていたんですよね。今では良い思い出です。

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