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知識

 先週、合氣道に行ったとき、気づいたことがあった。というより、もともと薄々気がついてはいたが…。今日気付いたこと。それは、自分には知識があまりないということだ。
 毎週ではないが、水曜と日曜に通っている合氣道教室には、50代の人や、60代、70代の人がいる。今は若い人が減ってしまい、年齢層が高い。高齢になってもできる。それが合氣道のいいところの一つだ。まあ、話がそれたので、元に戻そうと思う。合氣道については、また書こうと思う。今回は、「知識」というテーマで文章を書くことにする。

 合氣道に来ている人のうち、50代の人(Kさん)がすごい知識が多いということに気が付いた。というより、前から知ってはいたが。この人の場合、50代だからというのもあるかもしれない。考えてみれば、自分よりも2倍以上の年月を生きているのだ。それならば、知識も多いかもしれない。だが、もし50年以上生きたとしても、同じ知識量を持つのは難しいだろう。他にも、知識が多い人はたくさんいるだろう。そんな世の中の中で、薄々感じてはいたが、自分の知識量は少ない。
 ところで、今回なぜ知識について書こうと思ったのか。きっかけは先週水曜日の合氣道だが、前から気になっていたテーマではある。今回書こうと思った理由は、「知識」は生きる上で、重要な意味を果たすと考えているからだ。たとえば、休学する直前まで、CMCを知らなかった。もし、CMCを知らずに休学期間を終えていれば、今の自分はなかっただろう。世の中の様々な取り組みを知れば、他の価値観に触れられたり、視野を広げて人生設計を行ったりすることができる。他にも、様々な立場や価値観の人が世の中にいることを知れば、偏見や差別を減らせたり、人にやさしくなったりできるように思う。それぞれの分野には、それぞれ役に立つポイントがあり、多くのことを知ることは、自分にとっても、他人にとっても、大切であるように思う。

 一方で、現代は、情報が氾濫している。スマホをぼんやりと眺めると、戦争のニュースから、どこかのママの子育てエピソードまで、様々な情報が目に飛び込んでくる。もちろん、そこから得られる情報もある。しかし、あまりにも情報が多すぎ、脳が疲弊してしまう。たとえば、勉強になる番組のCM中、あるいは、大学の講義の休憩中、仕事の休憩中などに、スマホを見たとする。その時、ヤフーニュースなどで、ロシアとウクライナの戦争、スーダンに関するニュース、芸能人が炎上したニュース、何かの雑学などが自然と目に入ってくるだろう。ただ、もしかすると、ニュースに関する記事なんて見ないという人もいるかもしれない。ただ、そんな人でも、インスタグラムを無意識に見ている場合もあると思う。他にも、書店に行くと、様々な本が売られていて、ここでも情報が氾濫している。ここまでの話は、どちらかというと、情報についてだ。だが、同じ話だと思う。情報を頭に取り込み、知識にしなければいけないが、情報が多すぎて、頭にはいっても、残らなかったりする。知った内容は整理しなければならない。ちなみに、自分自身のことについて言うと、専門の社会学については、そこそこ知識が増えてきた状況であり、興味のある部分だけだが、心理学に関する知識もほんの少しだけある。また、雑学や海外に関する知識、日本語に関する知識も多少はあるといった具合だ。反対に、理科関係の知識はかなり乏しく、時事ニュースに関しても収集が追い付いていない。さらに、日本史の知識はどんどん消えつつあるように思う(戦後に関しては、前より詳しくなった)。ちなみに、世界史についてはほぼ知らない。他にも挙げていくときりがないが、これが今の自分の限界だ。このような状況において、自分の頭が貧弱であると感じた。あるいは、時間の使い方が下手なのかもしれない。昔は、いろんな知識にふれてさえいれば、物知りになれると思っていたが、最近、限界があるように思っている。

 では、どうすれば、より多くの知識を獲得できるのか。そこで、自分が導き出した答えは、「アウトプットをする場面を作る」ことだ。普段生活していると、自分の知っている知識を語らない人が多いように思う。「ひけらかしがいけない」という世の中の風潮があるのだろう。だが、この考え方は自分にとっても他人にとっても、損であるように思う。知識はひけらかす方がいい。なぜなら、知識を共有すれば、話した本人はアウトプットの機会になるし、聞いた方は番教になり、場合によっては興味の幅が広がる。知ったかみたいな情報でいい。自信がなければ、自信がないと言えばいいと思う。日々生きていく中で、隙あらば小さな雑学や豆知識を会話にぶっこむ。聞いた方は、もしそれを知っていても、「知ってる」と冷たく言うのではなく、そこに自分の知っている情報をかぶせる。これをすれば、知識は整理され、新しい知識に触れられる機会も増えると思う。とはいえ、楽しい雑談の中に、いきなりお堅い学問が入ると場がしらけるかもしれない。その時は、ライトな知識を入れると良いと思う。というより、そもそも、普段から、学問とかじゃなく、くだらない知識の共有とかでいいと思う。楽しく知識をひけらかし合い、知識を伝えることにも、聞くことにも快感を覚える。そんな世の中になってほしいと思う。

(ちなみに、この後、どこかで、「経験」と「能力」について書き、この記事は、そこにつながると思う)

 
 

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