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身分不相応のジュエリー

 世の中には今の自分のレベルに合ってない物事や事象が多すぎるとつくづく感じている。例えば結婚。婚活女性の多くに見られるのだが、「私は高年収、高学歴、大企業のハイスペック男子と結婚がしたい!」と、意気込んで婚活する人。

 見ていて、先の人生のシナリオが予想できてしまう。よくある話なのだが、結婚相談所に加入する時、無職になって何にもしていないのに結婚だけはしたいと大きな望みを賭けて登録する人の多さ。「もう年齢が良い年だし、子どもを産むとしたらここが勝負時。だから私、結婚がしたい!」と本気で思っているのだ。そして皆さんそれまでのキャリアを丸ごとゴミ箱に捨てて結婚していく。

 大きな声で叫びたい。それはマジで危険な思想であり、地獄行きの切符を手にしていることだと言いたい。

 いつも仲良くしている友達がいたんだけれども、彼女は新卒でブラック企業に勤め始めて毎日ボロボロになりながら生活をしていた。そんな時に年収一千万、誰でも知っている大企業勤め、超名門大学卒業のハイスペック男子と出会う。身も心もボロボロだった友達は、もうこれ以上働きたくないと心から思って、新卒一年目であっさりと退職。無職状態でそのハイスペック男子と結婚をした。

 結婚する時に私に様々な経緯とか話してくれたんだけれども、私は第一声「大丈夫なの?」と友達に声を掛けた。だって経済的なこと全て夫任せで、心も不安定な状態で結婚を決めているから。でも他の友達は何も気付いてなくて、「年収一千万の大企業勤めなら将来安泰だよ!本当に良かったね!」と声を掛けていた。私は違和感しかなかった。何て言うかどこまでもバランスが取れていないのだ。取りあえず「おめでとう」と私は友達に言って、幸せであるようにと祈った。

 数日後、友達は結婚式を挙げた。横浜の超有名ホテルで盛大な式を挙げた。人生の中で一番の華やかな時代だった。
 そして結婚生活が始まる。最初はいろいろなことを話して、楽しく生活していたけど、年月が過ぎるにつれ、ある問題が浮上した。それは、夫が生活費を渡してはくれないと言うことだった。

 二人で暮らしているのに、「月の生活費は十万円に抑えろ」とか「家事は完璧にしろ」とか、無理難題を言う。おまけに家事を完璧にするためにパソコンのエクセル使って一覧表にして家事完璧シートを作る始末。仕事なのか?

 不妊治療も上手くいかず、大きなストレスで悩まされた。家庭は閉鎖的な空間で逃げ場がないから、友達にとっては地獄に変わっていた。そして、約十年の歳月を経て、二人は離婚することとなった。

 離婚するのにもかなり長い月日を要した。まず、離婚調停で夫が離婚に同意してくれない。財産分与で揉めるなどしていた。簡単に離婚できない現実に友達の心はすり減っていった。結局財産分与では友達がかなり損をする形で決着がついた。ようやく別れられることの方が友達は嬉しかった。友達の第二の人生が始まった。

 まあ、この友達の経験談から思うことは、高年収の男性ほどケチだと言うことです。だって、ケチじゃなければお金なんて貯まらないでしょ?余程の大富豪じゃない限り、お金を出すの渋るのが男性と言う生き物だ。それが現実だということを、婚活女性には心得て欲しい。意地悪で言っているのじゃなくて、それが現実。

 あとは、結婚する時に一番大事にしておきたいことがタイミングと言うこと。物事にはちゃんと順序がある。文章にも序論、本論、結論と言う大まかな流れがある。その流れを大きく無視して高飛びすることは危険なことであると断言できる。

 友達の大きな失敗は、仕事で、生活で上手くいっていない時に結婚しようとしたこと。もし結婚する時に仕事でまとまった結果が出ておらず、消化不良な時期であったとしたらそれは結果が出るまで焦らず仕事に打ち込んで欲しいのだ。年齢どうのこうのじゃなくて。あと心がボロボロで精神的な病が酷い状況下で結婚する。心が不安定な時に結婚を考えるとか、それは不幸の入り口に立たされているようなもの。あなたが毎日の生活の中で、仕事がとても充実している。毎日の生活が楽しくてハッピー。こういう時に初めて結婚と言うものが意識出来るタイミングかなと思う。幸せな時に、後悔のない決断をして欲しいのだ。不幸の渦中で出した決断ってきっと全部上手くいかないから。

 コロナ過で多くの人たちが仕事を失った。私は病気になってしまい、地獄の底ストレートコースだったけれども、そんな中で多くの友達が結婚していった。友達は仕事を失ったり、結婚と同時に仕事をバッサリ辞めたり、大きく住まいを変えたりしていった。私の友達はほとんどが大卒なのだけれども、みんなあっさりそれまでのキャリアを捨てていったよ。私の周りで結婚後も働いている友達は僅か二人。驚いてしまうよね。でもこれが現実。女性の社会進出が…とか巷では騒がれているけれども、みんなそれまでの仕事って辞めちゃうんだよなあとがっかりした。何のための高等教育なのだろう。幸せになる手段が、結婚して家庭に入ることしかないってシンプルにしんどすぎる。私はその子の結婚を否定しているわけではなくて、自立心なくして結婚することに疑問を持つのだ。

 もし、超高収入の男性を好きになって、運よく結婚出来たとしよう。それでも女性は今までのキャリアを捨てず、手に職を付けて、社会で自分に出来る仕事を長く続けていた方がとても幸せな生活が出来るということを、私は断言する。と言うか、自由な選択肢が増えるのだ。当然のことだけれども、結婚する時や結婚生活する時に自分の意志や自由な判断が出来ないのは本当に苦しむ。それで多くの人は悩み、悲しみ、苦しみ、飢えているのだ。仕事を続けることや、ある程度の成果を出し続けて毎日の生活を送ることは、トランプのカードである自分の手札を残しておくことと同じこと。重要な局面において、手札のカードを全て使ってゲームを勝利に導くことが出来るのだ。まあ私がこれを友達にいくら話して説得しても、友達は「そんなの好きになったら関係ないじゃん!」と力説されそうだが(笑)

私は好きになることよりも、女性はどこまでもパートナーになる男性よりも知恵があり、賢く、学び続けることが最上だと思っている。それが男性に飽きられない女性になるためのコツであり、秘術だよと申し上げておきたい。だって私の大好きな「新テニスの王子様」の跡部景吾様も面白い女が好きだから。私も誰よりも面白い女でありたいと日々修行を重ねている。

 ところで、皆さんはジュエリーが好きですか?私はジュエリー大好き。いや、持っているジュエリーの数は二個だけれども、宝石大図鑑とかでキラキラに輝くジュエリーを見るのが好き。またお店のショーケースで、宝石展示会で飾られているジュエリーを眺めるのが好き。何だかわくわくする。私は、自分の名前に「石」と言う漢字が入っているくらいだから、石大好きっ子なのだ。好きな宝石は、ダイヤモンド、誕生石であるオパール、トルマリン、エメラルドなんかも良い。真っ赤なルビーは可愛いし、サファイアも好き。特にピンクサファイアが綺麗。トパーズも素敵だし、この話をするとめちゃくちゃ長くなる(笑)でも、宝石を買うときに注意して欲しいことがある。それは、宝石は人を選んでいると言うこと。

 これは何だかスピリチュアルな話になってしまうのだが、宝石には目には見えない心のパワーをくれるのだ。宝石の持つパワー。石にはみんなパワーが宿っている。だから、宝石を身に着けていると何だか心がふわっとして、守ってくれているようなそんな気分になる。身に着けていると「何だか良いことありそう!」と思わせてくれる。だからジュエリーって凄いのだ。

 だけれども、その人の眼には見えない身分と言うものがある。例えば、自分の持っているお金以上に高いジュエリーに一目惚れしてローン組んで買うとか。あとは、結婚相手に何百万もする婚約指輪強請ったりとか。果たしてそのジュエリーを手にするだけの価値があなたにありますか?と己に問い掛けて欲しいのだ。

 私は叶姉妹が大好きで、叶姉妹の超絶キラキラのごつごつジュエリーをブログで見るのが好きだ。でも、あのジュエリーたちはみんな叶姉妹の身分に相応しいレベルだからこそ、真の価値を発揮している。あれを一般人が付けたらそもそも似合ってないし、不協和音。どこまでもアンバランス。

 二十代、三十代でそんな身の丈以上のジュエリーを身に着けたら、災いと不幸を間違いなく招き寄せます。ホント、これは宇宙の法則と言っても過言ではない。実際それで不幸になった有名人もわんさかいるわけだし。若いうちはジュエリーは不要と言った方が良いかもしれない。ジュエリー以上に自分の魅力や価値を徹底的に磨いて、「自信」と言うジュエリーを身に着けて欲しい。

 当然ながら自分の身の丈以上に素晴らしい男性との結婚も、不幸や災いを高確率で招き寄せてしまう。これって防ぎようがないことなのだ。特に、有名人の結婚はマジで危険。これは有名人だから幸せになれないとか、そういうことを言っているのではない。有名人は人の目に晒され続ける限り、プライベートはほとんどないということがまず大前提。だからあなたが、有名人の結婚を必要以上に羨ましがったり、僻んだりする必要って全くないのだ。「ああそうですか」で終わらせておけばいい。あとのことは、時が流れれば流れるほど、その結婚と言うものが本当に幸せであったのか、そうでなかったのかは、証明されるから。それはもうあなたがその有名人を訪ねて検証するよりも早く週刊誌がいくらでも記事を掻き立てるように出来ている。有名人の結婚ってそんなもの。そして報道を受けて、「これって大分格差あるよね。何かアンバランスな結婚だなあ」と思った直感は高確率で当たる。格差婚を望んでいるそこのあなた。その格差を是正する努力が出来るか、最後まで頑張り抜けるかよくよく考えて欲しい。一時の好きとか一緒にいて楽しいとかそう言う感情なんてすぐに消えてなくなっちゃう泡みたいなものだから。

 私はヨガが大好きである。レッスンをやっていて、いろんなポーズを取るのが純粋に楽しい。あと、ヨガは精神の安らぎを与えてくれる。やればやる分、思考がクリアになり、余計なものがデトックスされる。あと、執着心から解放された。今までは変えられないことにたくさんのエネルギーを使って自分を疲弊させていたけれども、ただ変えられないことは変えられない事実として丸ごと受け止め、そして手放すようになった。だから人にも、物事にもあんまり執着してない。出会いと別れ、始まりと終わりがあるように、いつの日かどんな物でも手放すように出来ているから。それって宇宙の真理。この真理に私は気付けるようになった。

 ヨガのポーズを取る時に、均等に体重移動が出来ていないポーズはすぐにバランスを崩す。あとは、自分のレベルに合っていないポーズを取ろうとしたら、そのポーズは続かない。すぐに崩壊する。無理をしたら体を痛めることに繋がる。

 これって人生にも通じることであると思っている。自分のレベルや能力に合っていない仕事や結婚、子育て。これって絶対続かないよね。それなのに人って、もっともっとと高いレベルを目指す。向上心があることは大変に結構。でも高すぎる目標設定や、向上心と言うものは自分を腐らせていく。人生の中で不貞腐れたくなかったら、その都度目標を出来るだけ細かく、レベルを最小限にしてクリアしていくことこそ大事なことだ。だって体慣らしが出来ていないもの。陸上競技をやる時に、いきなり全速力でハードルを飛び越えようとしたら大きな怪我をする。十分に体を温め、ウォーミングアップ。適宜水分補給も忘れない。そうした小さなことを準備してから、ハードル走を始めればいい。しかも小さなハードルから。それが出来たら、段々ハードルを上げれば良いから。

 それがわかってないから、人は苦しんでいる。私も三十代前半までは完璧主義で目標や理想がハイレベルだったから、生きること自体がしんどくて苦しくて、劣等感まみれだった。自分自身に「劣等感」という札を張り付けて、ボロボロになるまで生きていましたよ。いやあ、あの時は本当に不幸だったねと笑ってやりたい(笑)

 目標が今の自分に合っているか、その都度見直し!点検!それが出来てこそ、人は幸せになれるって私は思っている。例えば作家になりたいという夢を持つ人がいきなり超長編、超ベストセラー作品を書こうとすることはマジで無理な目標だからいますぐその目標はゴミ箱に捨ててくれと言いたい。それが出来るのはJK・ローリングくらいだからって声を大にして言いたい。作家になるにはまず、毎日無理なく楽しく文章が書けること。面白いことにアンテナを張ること、作家になるための情報収集を欠かさず行うこと。当然色んな本を読み込み、絶えず研究し続けること。これで夢がぐっと現実に近づいてくる。まあ作家になりたかったら、毎日日記をつけることですね。毎日欠かさず二ページから三ページくらい文章書いていたら、文章力は確実に飛躍する。レポートや論文を書いてみるのも脳のトレーニングになるからおすすめ。私は小学校教員になろうとした時に、通信制の大学に通っていたんだけれども、そこで鬼の様に大量のレポート書いていたから、文章書くことは得意になった。今も楽しく文章を書くことができているのはそのお陰かなと感謝もしている。

 私がこの話でとにかく言いたかったことは、人生のバランスを取れ。ずっと幸せでいたかったら身分相応でいろと言うこと。過剰なお金、権力、人気、地位、男女は人を狂わせるし不幸にさせる。そうじゃなくても世の中は人を不幸にさせる情報で溢れかえっているよ。何が大切か、そうでないかはその都度自分の眼で確かめて判断する。人が言っているから、だからそれに従うと言う安易な生き方はどこまでも不幸だし思考力が身に付かない。無責任。自分自身の脳みそをフル回転させて、考え抜いて答えを出したことって後悔がないから、その方がスッキリする。

 もし、身分不相応なことをしてしまったら、その都度清算をすることですね。例えば有り余るほどお金を稼いでしまった場合、どこかにまとまったお金を寄付する。高額過ぎるジュエリーを買ってもらった場合は潔く手放す。超素晴らしい男性と結婚したら、その分ボランティア活動でもして、世のため人のために働く。そうやって一生懸命バランスを取って欲しい。ちょっとスピリチュアルだけれども、こういう風にその都度清算が出来ていないと、大きく膨れ上がった人生の借金を背負うこととなり、突然ぷつりと幸福の糸が切れてしまい悲劇が始まるのだ。でもそれって不思議なことではない、ごくごく自然で当たり前のこと。それに気付けるか、気付けないかと言うちょっとした差なのです。

 私は平凡が一番幸福で幸せなことって知っている。それは今までの人生が平凡じゃなくって、嵐みたいだったから。特に病気になって大好きな仕事を辞めた時なんかは、世の中全て呪って生きていましたしね。こうやって病気の症状が落ち着いて、少しずつ執筆活動が出来ているって当たり前じゃなくて私にとって平凡で超幸せなこと。平凡こそ幸福。平凡こそが安穏。もっと当たり前の幸せに気付いて、過ごしていってね。それがかけがえのない財産になるから。

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