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『春宵』─橋本治

「一番大切なのは、胸の中に“友達”っていうものを持っていることだって。あるいは、“幸福”っていうものをきっちりとつかまえていられることだって。
そういうことが分かってる子じゃないといやなんだな、僕は。
ホリー・ゴライトリーは、『フェアじゃない』と言って怒っても、でも決して、『寂しい…』なんて言わない。『幸福を分かっている』って、きっとそういうことだ。」

「A SONGBOOK FOR HOLLY GOLIGHTLY」
橋本治『春宵』

初めてなにかを“美しい”と感じるとき、そこには、自分の心をリラックスさせてくれるような人間関係がある(対象の擬人化も含む)。人生のはじめにそのような経験があって、その後長い時間をかけて、自分にとって美しいと思えるものに触れ、その度に豊かな人間関係の欠落に気づくことで美的感覚は育まれていく。橋本治は『人はなぜ「美しい」がわかるのか』という本でそう書いていた。
鍵になるのはその人間関係なんだ。冒頭引用した言葉を、私はそのように捉えている。

「私は、同世代の女のある部分とは、完全にツーカーだと思う。『だってさー、俺達はこういう風にやって来たじゃない』と言って、『うん』という答えが返って来るのは、私の場合、みんな女である。同世代の男だと、『だってさー、昔、俺達はこうだったじゃない』なんだ。私と同世代の男との間には、現在に至る共有がない。私は、わざわざ彼等のために“過去”を作らなければならない。それがメンドくさいから、私は同世代の男を敬遠してしまうのだが、同世代の女達のある部分とは、あきらかに“共有出来る現在”があるんだよなー。
私には、そういう女友達が複数でいる。」

「ふたりの、へーえ、そうだよ─書評『ふたりの平成』」
橋本治『春宵』

橋本治が様々な媒体に寄稿した文章を集めて“四季四部作”はできている。時系列はバラバラだ。ということは、「この文章が“春”の中に入っている理由はなんだろう?」常にその問いを頭に置いて読んでいた。それはこれまで読んできた秋冬でも同じ。

橋本治は人生の初期を春と位置付けている。私は『春宵』を読んでそう確信した。決めつけだが。
これは橋本治の『枕草子』の解釈を援用したものでもある。橋本治は、“春は曙、夏は夜…”について、“曙は春、夜は夏…”と一日のある時間帯を四季になぞらえる発想も成立しうると書いている(『問題発言2』)。四季四部作のタイトルもまさに同じことが言えるし、その発想が成り立つのなら、人生を四季になぞらえることもありえる。

人生を自分の足で歩き始める時期が春。橋本治はそのように言っていると思えた。

「一つだけ知っておいてほしい。お気楽なだけの中学生にだって、将来ひょっとしたら作家になっちゃうかもしれないという“未来”だって、ある。
やっぱり、ノーテンキでうるさいだけの人間でも、作家なんかになっちゃうんだから、人間の内部には、いろんなものがある。そういうものを刺激して、『じゃー作家になってやるよ!頭にくんなー!』と言わせるだけのものも、世の中にはある。人生はけっこうハードで、そのハードな人生を『生きぬいてやる!』と思うのなら、自分の中にあるノーテンキな“元気”を、絶対に忘れないでいることだ。
それが、一番大事な“エネルギーのもと”なんだから。」

「元気が大事」
橋本治『春宵』

橋本治は青春群像劇『桃尻娘』で小説家デビューした。桃尻娘を書いていた頃の橋本治は“春”だ。まだ自分の人生が見えない高校生が描かれた『桃尻娘』も、作品としてはやはり“春”だろう。はじめにあって、だけどずっと核にありつづけるような大事な時期を春として橋本治はイメージしているような気がする。濃厚に未来への予感がある、さらに言えば予感しかない時期ではあるが、生涯にわたりずっと支えになるようなものが育まれるとき。それが春だ。

「『ここには主役がいない、ここに主役がいるとしたら、それを見る観客のあなたで、私は、そのあなたを生かす、“思い出”という輝ける世界を作った。“私の(フェリーニ)”という限定は、そのまま、“あなたの”とイコールになることによって、普遍になる』というのが、この映画だと思います。
冬の空は澄みきって、その空の青さに『ほんのちょっとやさしさが加わったな』と思ったら、風に乗って綿毛が運ばれて来る。きれいなのかどうかは分からない。でも、大人も子供も、みんなが飛び上がってその綿毛を捕まえたら、その瞬間に冬が終わって、“懐かしい春”がやって来る。春は、そんな風に始まる。イタリアの春も日本の春も、60年前の春も現在の春も、すべての春はそんな風に訪れ、そのまんま、人の胸の中に永遠に住みついている。
冬の空の青さが、夏の空の青さとおなじように見える日、誰からも愛されていた美人のお姉さんは、お嫁に行ってしまう─“少年の日”というものは、そんな風に終わるものなのかもしれないが、しかし、人間の営みというものは、そんなものを含みこんで、そのまま永遠に続いて行く。
そんなことを、イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニは、教えてくれている。それが多分、『フェリーニのアマルコルド』だ。
あなたは、覚えていますか?」

「とってもタフなノスタルジー─
『フェリーニのアマルコルド』解説」
橋本治『春宵』


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