桃尻娘に潜むトリック
冒頭の言葉は、この小さな雑誌に載っているインタビューから。
このインタビューが行われたのは昭和58年。全6部で構成される「桃尻娘」シリーズは2部まで出版されて、3部を書いている途中か書きかけている(構想を練っている)ところ。
「桃尻娘」は女子高生の一人称で語られるところが特徴的です。メチャクチャな文体でもまともな内容を書くことはできるんだ、という意気込みで、当時の若い子(登場人物には女の子も男の子もいます)の思いを言語化しました。言語化によって「高校生だって言いたいことはある!」ことが明らかになって、「言える」「言ってもいい」という方向性が示されました。
でもここにはトリックがある、と作者の橋本治は言います。
1部・2部は特に全部が「話し言葉」で書かれているから、会話部分とモノローグ部分が渾然一体となっていますが、比率では会話よりモノローグが圧倒的に多い。モノローグを言語化することは作者の意図でもあり、成功しました。しかし、それだけではダメなのです。桃尻娘をシリーズ化するにあたって、モノローグを言語化することにとどまっているわけにはいかない。それじゃあ独り言で終わっちゃう。
高校生が主人公で、登場人物がそのなかで成長し魅力的な人物になるには、モノローグが他者との関係性のなかで表沙汰になって、自分で自分を批評するところまでいかないといけない、だからそのためにシリーズの3部以降があると橋本は言います。
小説「桃尻娘」はもう古くなっていると言われても仕方がない部分はあります。40年近く前に書かれたから当然です。
でも普遍的で今でも魅力的なことが確かにあります。私が思うにそれは、“青春大河小説”のキャッチコピーそのままに、登場人物が生き生きと成長していくことです。大人になる過程で通過する感情が細やかに表現されていることです。
世の中にはいろいろな人がいて、その人なりのタイミングとペースで大人になっていきますが、誰しもが他人との関係性のなかで成長していくはずです。時代が変わってもそれは変わりません。読者のなかには、もうすっかり大人と言える年齢になってから、この小説の年若い登場人物が経験した感情を体感することもあるでしょう。
気持ちを言葉にする、それを他人に言ったり言わなかったりする、誰かが反応する、気持ちや考え方が変わっていく。人が魅力的に成長していくとはこういうことかと、桃尻娘シリーズを通して私は学びました。
「桃尻娘」全6部は長い小説です。モノローグで終わる1部だけを「古い」の一言で切って捨てないでほしいのです。時間をかけて成長していく物語でもあり、だからこそ、この長さがある。人はつまずいたり回り道をしながら成長し、近道はない。それで大丈夫だよ、「桃尻娘」はそう言っているように私には思えるのです。
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