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橋本治『無花果少年と桃尻娘』

「またね」という言葉を、橋本治は愛おしむように使います。その一つの答えをこの本に見つけたと思いました。

「『またね』って、すごく好きだ。『またね』『またね』『またね』って、濃密に、夕焼け空みたいに明日が一杯ある。明日も明日も明日も、ズーッと『またね』っていう言葉でつながって行って、『またね』って言葉の数だけ、僕達には未来があるんだって、そう思う。」

橋本治『無花果少年と桃尻娘』

第4部の終わりで同棲生活を解消した磯村くんと木川田くん。少しの間距離を置き、それでもお互いが特別な人であるという想いは通じ合います。
でも、同じ道を歩くことはできない二人でした。

木川田くんは、

「誰かと一緒にいられなくて寂しいって思うよりも、自分が一人立ちしてなくて、それで自分はこういうことがやれてますって、そういう風に胸が張れなくている方が辛いって。それじゃ誰にも愛してもらえないって。だから辛くてやだって。」

橋本治『無花果少年と桃尻娘』

だから時間を惜しんで勉強しています。デザイナーになるという夢に向かって。

一方の磯村くんは、

「僕はただ、彼の情熱が僕とは関係ないっていう、そのことがつらいだけなんだ。“関係ない”っていうんじゃなくて、僕にだって、やっぱり情熱ってあるから─あると思うから、僕のその情熱と、彼の持ってる彼の情熱とがピッタリとは重ならなくても─そんなに無理矢理に全部重ならなくてもいい─ただその、重なれないでいるっていう、そのことを彼に理解してもらえないでいるっていうことが一番、つらいといえばつらいんだ。
僕の情熱というか関心が、他人の情熱とはあんまり重ならなくて、そして、そういう情熱みたいなもんが二つあるんだったら、絶対に僕は自分の方の情熱を取るだろうなって、やっぱりそう思うから。」

橋本治『無花果少年と桃尻娘』

二人の情熱は重ならない。
でも私はそれをバッドエンドとは思いません。

ところ変わって同じ頃、玲奈もある決断をします。
浪人して入った早稲田大学を一年で休学し、将来結婚する約束をした利倉くんの実家に働き(女中)に行く。
利倉くんの実家とは言え、利倉くんは都内で一人暮らしをしながら大学に通っているのですから、利倉くんが実家にいるわけではありません。利倉くんちは建設業で人がたくさんいる“労働の場”で、将来結婚したいと思うほど好きな人に出会えた玲奈は、その相手と暮らすのではなく、その家で働くことを決めました。一度しか行ったことのない彼の家に単身乗り込んで直談判をするというのも、若い玲奈の勢いのあるところです(もちろん、利倉くんに事前に承諾を取って)。

「私はただ、愛されるってことを求めてただけなんだ。彼に愛されるっていうんじゃなくて、場所ごと全部私のことを受け入れてくれるものに全身で愛されたいって、そう思ってただけなんだ。地面に足をはやしたいって。」

橋本治『無花果少年と桃尻娘』

磯村くんと木川田くんは、情熱が重なり合わず別々の道を行きますが、玲奈は利倉くんとの間に断崖絶壁があることを自覚しながら、結婚を決めます。

「あたし達の間には“断崖絶壁”ってあるけど、それでもいいねって、あたしは思った。」「あたしが“あたし達のこと”を思うっていうことは、あたしが一人で思うんじゃなくて、“あたし達が一緒になって思う”ってことなんだなって、そう思えてよかったなって、あたしは思った」

橋本治『無花果少年と桃尻娘』

『桃尻娘』全作を評論した千木良悠子さんによれば、桃尻娘は「一人で生きてかなきゃいけないなんて嘘だよね」と言う本です。

「長大な権力の歴史が構築してきた『一人で生きてかなきゃいけない』という声は、ますます個人の胸の内に内面化されていきながら、物語の語り手の座を片っ端から占拠しまくっている。その声をにっこり笑って拒絶し、風に吹かれた帽子を拾ってあげるようなさりげない優しさを接合点に、立場の違う人々と『愛』や『心』の流れる『生きた世の中』を作り出す。」

千木良悠子「小説を語る声は誰のものなのか
─橋本治『桃尻娘』論」(文學界2022年6月号)

それを目指す物語ではありますが、同時に「一人にならなきゃいけない」「一人になっても大丈夫」と言う本でもあると私は思いました。矛盾しているのではなく、“一人”の意味合いが違うのかもしれません。人は一人にならなきゃいけないときってあるけど、一人で生きなきゃいけないなんて思わなくていいんだ、って。

「私は一人でだって生きていける。
ズーッとそういう風に思いたくて、ズーッとそういう風に思えるようになりたいと思ってて、それで、そう言った時に寂しくならなかったりいやな気持にならないですむようになるにはどうしたらいいのかなって、そう思ってた。
人間はみんな一人だから、それだからきっといいことってあるよって、そういう風に誰かに言ってもらえたらいいなって。
私は分かるんだ、人間はみんな一人だから、一人になりたくって、でも一人になるのってとっても難しくって、だから一人になる時にはすっごいいやなことって一杯あるんだって。
でも、一人になったらきっといいことがある。いいことがあるから、いいことに出会えるから、だからとりあえず人間は一人になるんだって。」

橋本治『無花果少年と桃尻娘』

高校一年生から始まった『桃尻娘』、第5部では登場人物たちが二十歳を迎え、それぞれの人生を選択し、自分の足で歩き始めます。「またね」と言い合って、それぞれの未来に向かって。


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