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ガブリエル・シャネル展   MANIFESTE DE MODE


🪶Intro

瀟酒、という言葉がよく似合うレンガ造りの三菱一号館は、モダンで内部も洗練されていて美しい。
 美しい建物の中にいると、一角のマダムになった気持ちになる。ふんわりとした心持ちで、本物のCHANELを身につけた本物の奥様方(マダーム)たちをかき分けて道を進む。外は、急に降り出したにわか雨でモクモクとした霧によって霞みがかっている。真夏の昼間の、少し気怠い時間帯、ぼんやりとした空気、の中青々と映える木々の緑が美しく目の奥に残る。
 予定と予定の間の僅かな時間の中で、駆けめぐるようにして鑑賞したシャネル展は、かつて見て私が芸術や表現の世界に飛び込み演劇を始めるきっかけとなった素晴らしい舞台の記憶を鮮烈に思い出しながら、時代ごとに打ち出される革新的なシャネルのルックに何度でもしびれる時間となった。

🪶Artist


ココ・シャネル(ガブリエル・シャネル)
・1883年8月19日、フランス生まれ

◉生い立ち
11歳で母親を病気で亡くし、行商の父にも捨てられ孤児院や修道院で育ち、修道院の制服や建築から機能性とシンプリシティを学んだ。18歳で修道院を出る。
(母のいとこの家で女中をしており、16歳の時に親戚から決められた結婚が嫌で家出をした、という説もある)

🪶 Exhibition

《活動的な新しい女性像の流行の先導をしたシャネル。そんな彼女の、シンプルさ・動きやすさ・実用性・エレガンスに基づいた美学といったモダニティを基調としたファッションの概念が展示全体を通じて表されている。》

⬜︎▫︎新しいエレガンスに向けて▫︎⬜︎

シャネルは、婦人用の帽子デザイナーとしてキャリアをスタート。
その後、ブティックを出す。
初期のデザインは、シンプルで動きやすく、機能的でありながらエレガントな美しさが特徴的。これは、19世紀の装飾的で身体をしめつけるファッションとは対極のものである
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《リサーチメモ》

恋人の裕福な将校、エティエンヌ・バルサンの影響で上流の文化に触れたシャネルは、帽子作りを始める👒
そこに出資の話を持ちかけたのが、英国人実業家アーサー・カペル。
女性が働くものではないとされていた時代に、帽子と洋服を販売する「メゾン・ド・クチュール」を立ち上げ。

⬜︎◽︎スタイルの誕生◽︎⬜︎

シャネルが重視したのは、快適さ・エレガンス・実用性・着心地の良さ。
何層もの下着やコルセットから女性たちを解放した。
また、この時代に現代性の究極のシンボルといわれるリトル・ブラック・ドレスも製作。


⬜︎◽︎ N°5 
現代女性の目に見えないアクセサリー◽︎⬜︎

ミニマリスト的デザインのN°5が誕生。
また、この時代に変化する女性のライフスタイルに合わせて、メークアップコレクションやスキンケア用品も開発・販売。

黒ラインの縁取り、サンセリフ体で品名を記した白いボール紙製の箱、透明で四角いガラスボトル

⬜︎◽︎抑圧されたラグジュアリーの表現◽︎⬜︎

1930年代は、シルエットへの意識が最もつよく表現されている。
エレガンス、自由の感覚、簡潔さへの追求が見られる。


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《リサーチメモ/歴史背景とシャネルの人生の影》

1929年 世界恐慌(女性も働くことを余儀なくされる)

1939年 第二次世界大戦

「今の時代はもう、女性たちが服に構っている場合ではない」といってブティックを閉じる。その後、15年もの沈黙。

展覧会ではその沈黙について語られてはいなかったが、実はシャネルにはドイツのスパイ疑惑がある。

第二次世界大戦の間、ドイツ人将校や諜報機関の人間と親しくしており、1944年にはフランス軍に逮捕されるも、友人の英首相・チャーチルの計らいで釈放。その後、10年間スイスに亡命していたとされる。
また、ドイツの反ユダヤ法を利用し、N°5の利益を享受していた共同経営者のユダヤ系ヴェルテメール兄弟(フランス最大の香水会社を経営)から会社経営権を奪おうとしていたという事実もある。こうしたことから、シャネルは反ユダヤ主義者だったのではないか…?とも言われているが、積極的な対独協力者やスパイであったわけではなかったのではないか?という意見もある。
真実はさておき、華やかな彼女の人生にも暗部があるということを感じる。


⬜︎◽︎スーツ、あるいは自由の形◽︎⬜︎

15年間の活動休止の後、戦後1954年にパリにてクチュールハウスを再開。
当時71歳であったが、控えめな上品さと実用性を兼ね備えた装いという変わらぬ主張があった。
テーラーメイドのスーツは、女性が自由に動くことを可能にした。


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《リサーチメモ》
当時、女性の社会進出が進んでいたアメリカで熱狂的に受け入れられ、モード・オスカー賞も受賞する。

⬜︎◽︎ジュエリーセット礼賛◽︎⬜︎

確立された当時のファッションジュエリーの常識に挑戦をした。

⬜︎◽︎蘇った気品◽︎⬜︎

シャネルの象徴的な色である、ホワイトとゴールド、レッドとブラックを使ったドレスやイヴニングウェアの展示。


🪶Memo

・年代ごとに、まったく異なる色、素材、形でつくられているはずなのに、全てに一貫して、”服を着ること”に対する、本質、や生きるために服を着るのだという哲学のようなものが伝わってきた。

・彼女のつくった服は、彼女の生きた激動の時代の中で生まれるべくして生まれたものなのだろう。
 女性という生をもって生まれた人間が、単なる飾り物や付属品ではなく、今を生き躍動するつよいエネルギーを持った生命体なのだ、ということを洋服というシルエットを通して影や輪郭のように先に打ち出し、打ち立てていったことを感じる。これからの時代、そして社会で自身の存在をくっきりと表し生き、動き、働いていく女性像を作り上げた、その功績をもまた感じる。

・女性たちの胸の中で湧きおこる自由と自立へのあつい炎を、きわめてシンプルで本質的な思考に基づいて形にしていったこと。その洗練された衣服に、自らの理想を重ねたことも多かっただろうと思いをはせる。

・シャネルは、”革命の人”なのだということを思う。
よりよく生きる、ということを、デザインと身近な物質をもとに、彼女なりのやり方で形作っていったのだと思う。そして、彼女の切り開いていった道は、”その服を着る”という具体的で実践のしやすいシンプルな行為を通して、女性たちが自由と自立を身にまとうことで、大きく、そして力強く現代までつながってきたのだという気がしている。

・「怒り」を年代ごとの服を見ていくなかでつよく感じた。
女性の人権があまりに低かった時代に、自らの会社を持ち仕事をすることはすなわち社会との戦いでもあったはず。彼女が、彼女の人生を歩むうえで、常に「怒り」とすさまじい「反逆精神」を源にしていたのではないか。自分の意志、そして哲学を何があろうと貫き、人々の心と体を抑圧から解放していった彼女の生き方に、つよく感銘を受ける。

🪶Info

◆会期
2022.6.18-9.25

◆場所
三菱一号館美術館

◆展覧会URL
https://mimt.jp/gc2022/


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