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メイクを謳歌せよ

40才を前にして、今さらながらコスメが楽しい。

一昨年、大学生くらいからアップデートされていない自分のメイクに革命が起きた。インスタグラムで偶然、「眉マスカラ」というひみつ道具を知ったのである。コスメに詳しい人ならば唖然とすると思うが、これで私のコスメレベルがお分かりいただけたであろうか......。

自眉がしっかりある顔立ちなので、眉に色を足すという発想がそもそもなかった。「もう少し眉毛の色素が薄ければいいのに〜」と思ってはいたけれど、眉ブリーチくらいしか方法を知らないし、そこまでするほど切実な悩みでもない。それが800円足らずの眉マスカラで解決したのである。こんな便利なモノが存在すると、なぜ誰も教えてくれなかったのか......。20年前に出合いたかったと嘆かずにいられなかった。

眉の色がワントーン明るくなっただけで、格段に雰囲気が良くなることに気を良くして、コスメ関連の本やWEBの記事を読んだらますますメイクがおもしろくなった。同じ世代で、同じようにメイクの楽しみを再発見する人が多いのも興味深かった。「いつものやり方で不自由してないし」と思っていた世界は、知らないことだらけの未開拓の地だったのだ。


そもそも、メイクについて熱心に語ること自体が気恥ずかしい、という人は多いのではないだろうか。

きっと、子どものころから、思春期から、異性や同性の目を気にし始めた頃から、「メイク=かわいく見せること」という刷り込みがメディアや人間関係の中で成されてきたからだと思う。その価値はいつも足し算だった。

もっとかわいく、もっと目を大きく、もっと肌を美しく、
もっと、もっと、もっと。

だから、メイクに凝ることは自分を本来の自分以上にかわいく見せようと必死なようで、恥ずかしい。私もそうだった。


私がメイクを深堀りせずにきた理由はもう一つある。

少しずつメイクして登校するようになった高3のある日、母親のアイシャドウを初めて塗ってみた。どこにどの程度塗ればいいかわからなかったから、見よう見真似でまぶたに塗り広げた。“それらしく”仕上がったところで、「ふふふん」と何食わぬ顔で登校した。誰一人、私の初のアイシャドウについて触れない。もちろん自分から言うこともない。放課後までその顔で過ごして部活に顔を出すと、仲間の一人が私を見るなり言った。

「な、なんか今日ちさちゃん、“お化粧してます〜”って感じやな(汗)」

その瞬間、顔から火が出るほど恥ずかしく、動転して、何と言って答えたのか覚えていない。今すぐ顔面を洗い流したかったけど、クレンジングも持っていないし、大失敗を認めるようでそれもみっともない。一体朝から何人の人に「“お化粧してます〜”って顔」と思われたんだろうと想像すると、みじめで消えてしまいたかった。

その日から私にとって、顔に余計な色をのせることは御法度になった。チークもアイシャドウも鮮やかなリップも、自分とは無縁のものと情報を閉ざし、鎖国状態。ファンデーションとマスカラだけの当たり障りないメイクが私の正解になった。結婚式でさえ「アイメイクは自分でやります」と言った。眉マスカラと20年出合わないはずである。


そんな私が今、20代の頃よりも「コスメが楽しい」のはなぜだろう?

年齢を重ねるにつれ肌のくすみやエイジングを無視できなくなったというのもあるし、以前よりナチュラルでデザインも効果も優れた製品が豊富になったというのもある。けれど一番の理由は「自分らしくメイクを謳歌していい」と、気づいたからだと思う。

コスメについて知ることが楽しくなってから、インスタグラムでメイク動画を見ることが時々あるのだけれど、タレントのりゅうちぇるさんのメイク動画を見た時には衝撃を受けた。

「なんて、なんて楽しそうにメイクするんだろうか!」

髭剃りからスタートし(そこもスキ)、キラキラと変身していく彼の姿を見ていたら、メイクに後ろめたさを感じていた自分がとてもつまらなく思えた。「メイク=かわいく見せること」を正面から受け入れ、堂々と変化を披露していく。「かわいい」が目的ではなく、なりたい自分を実現していく。自分自身の手で。その表情は最高にチャーミングで、むしろメイクすればするほど本来の彼に生まれ変わっていくようだった。

草場妙子さんの著書『TODAY’S MAKE UP』も(あまりに有名な本ですが)、私にとっては黒船来航に等しい内容だった。メイク本というと、すべてのパーツをあらゆるアイテムを使って加飾するイメージだったけれど、素の顔立ちを生かし、必要なメイクだけを選ぶという楽しみ方を教えてくれた1冊だ。「もっと、もっと」というメイクのバリューは、私が思い込みを更新できずにいただけだった。コスメそのものが雑貨のように “モノとして” 愛らしく、テクノロジーとフィロソフィーが詰まったプロダクトだということも発見だった。

そう、新しい自分になることは、いつだっておもしろい。

メイクし始めた17才の私を、母親はあまりよく思っていなかった記憶がある。服装も素行も極めて地味な高校生だったから、「お化粧なんてまだ早い」と思われていたんだろう。もし、お化粧づいた娘に母が肯定的で、一緒に楽しんでくれたら、私のアイシャドウデビューはもう少しマシな出来だったかもしれない。私に娘はいないけれど、もし、息子がヘアスタイルやメイクに興味を持ったら「楽しいよね!」と言えるオカンになりたい。

今もコスメに詳しいとは言えないけれど、自分に似合うものを探すことはとても楽しい。気恥ずかしさや自意識を捨てて、自分を好きになれる顔で笑っていたい。一人ひとり顔が違うのだから、誰しもが年を取るのだから、自分で今の自分を肯定できるように、メイクの力を借りるのだ。

今は似合わない真紅のリップが、しわをくっきり刻んだ白髪のおばあちゃんになったら、最高に似合うようになったりして?
そんな日が少し、楽しみな自分がいる。

(というわけでおすすめのコスメ情報歓迎します◯)


◯ステイホームのコスメの楽しみ



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