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もうきみのことすきなんかじゃないよ、愛しているだけ

アーメン・ザーメン・メリーチェイン。なむなむ。

最寄駅からの10分が途方もない。歩いても進まない。この場にしゃがみこみたい。大声で泣いたって警察が来るだけで誰も迎えに来てくれない。ここは東京で、私は大人で、うちはすぐそこで、なのに途方もなく遠い。

なにをしても満足できないのに、なにが欲しいのかもよく分からない。なんでもいいから元気でいて。ほんとはなんでもいい。生きてればそれでいい。はずなのに。辛い時に辛いと言って何か変わるならでかい声で言う。言わないは、辛くないじゃない。

抱きしめる理由を必要としない腕。ばあちゃんのように柔らかくてやさしい寝床。安らげる居場所。許される居場所。わたしだってほしい。

自分の傍から離れていこうとする人を、どう見送ったらいいのかずっとわからない。非情にもなれないし執着もできない。かといって何も感じないわけではない。心がずっと濡れている。これは悲しいや淋しいと呼ぶはずなのに、そんなに単純じゃなくて困る。

離れていく人に、虹のはじまりと終わりをきっと一人でさがしにいったんだ、と言える人になりたい。虹のはじまりと終わりなら、私も探しに行きたいから。そんな風に言えるほど私は優しくない。人に優しくなれるには、まだ傷つき足りないのかもしれない。

「クッキーあるよ」と冷蔵庫のホワイトボードに書いてある。小さくてボロい冷蔵庫。甘いものは好きじゃない。でも193のつくるクッキーは好きだった。鍋に昨夜の残りがある。辛いものも好きじゃない。でも秋のつくるよくわからない料理は好きだった。

自分に向けられる目が当たり前に優しかったのは、東京に来る前のことで、自分に向けられていた目が優しかったということに、東京に来てから気づいた。

できることなら冗談みたいに笑って暮らしていたい。電車でイヤホンをして本を読むように、この世のつまらないことになど気づかないでいたい。ときめくことだけを目に入れて、アホみたいに生きていたい。人生なんか真面目に生きたってしかたない。たのしく過ごしていないと割に合わない。起こること全部にいちいち真剣に向き合ったり傷ついていたら生きていけない。なのに。

東京はきっと変わってない。東京を歌った歌がこんなにたくさんあるんだから。

父みのるから受け継いだのは、飽き性なくせに凝り性な性分と、どんどん孤独になってゆく呪い。世界で一番けったいなおっさん。子供の頃はよくわからなくて大嫌いだったのに、私は間違いなくみのるの娘だし、父を愛してる。でもよかった、父には家族がいて。私が大人になって。

言葉で説明したって意味がない。言葉にしないと届かないけど、言葉にしたって届かないこともある。頭では諦められるのに、心がついてこない。どうして、こんなに分かってもらえないんだろうか。どうしたら分かってもらえるんだろうか。分かりたいと思っていることが、伝わらないんだろうか。

少しいじけてたら「ほんなら一生そこにおれば」と、美しい人の背中が言う。遠いな〜。遠くて、どうしようもなく魅力的。欲しいものの名前はわからないのに、嫌なことの名前ははっきりしている。

振り返ったときに見えるあの人たちの顔より、どんな顔をしてるかもわからない背中がいいって、何がいいんだと思うでしょ。私も思う。でもこれが私の東京でして、東京はだいきらいでだいすきで、帰りたいけど帰りたくない。

上京する時に送別会を開いてくれた仲間が関西にいて、寄せ書きをもらった。玄関に飾ってある。上京してからずっと飾ってある。たまに読む。短くて力強くて、それぞれの言葉と筆跡で、全てが「君を愛してる」に見える。一枚の厚紙が神より仏より信じられる。

本当はきみのことだいすきなんだ。きみのこと信じてるんだ。ほんとだよ、うそじゃないよ。
小難しいことじゃなくて、理由や説明じゃなくて、あれ何が言いたいんだっけ。仲良くしたい、ちがう。そばにいて、ちがう。嫌わないで、ちがう。もっともっと簡単な。

あの寄せ書きくらい限られたスペースでも、世界が終わる1秒前でも、電話を切る直前でも、息を吸って吐く間にでも、言える言葉。

I WANT YOUだぜ。
I NEED YOUだぜ。
I LOVE YOU、べいべー。

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