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v_0255 脆弱な医療体制で暮らすとはどういうことか、考えておいた方がいい

人間が一番健康を意識するのは、きっと自分が病気になったとき。
一部前回の繰り返しになるけど、人間は失って初めて、普段当たり前に享受してきたものの大切さに気づくものですよね。
吐き気に苛まれてるときは「普通にご飯が食べられるって、なんて尊いことなんだろう」と実感する。熱にうなされているときは、「自分は普段はなんて健康体なんだろう。健康って本当にありがたい」と心から思う。そして治ると、忘れる。喉元過ぎれば熱さを忘れるってやつ。

そうやって健康であることへの感謝はときどき思い出すけれど、でもそれを支えている日本の医療体制にスポットが当たることって、少ないかも。病気になって、「本当に日本に生まれて良かった!」って思うことって、普段はあまりないですよね。
私は医療の脆弱な国で暮らして、自分や家族が病気になったり、身近な人が事故に遭ったりということを通して、日本の医療に対する心からの敬意の念が湧き上がるという体験をしました。離れて初めて見えてくるものがある。

日本はオワコンとか、今後日本は沈没するとかよくネットで見ますよね。確かに、少子化対策をここまで放置してきた圧倒的マジョリティがいまだに政権を握っているという事実を見れば、緩やかに(だといいけど)右肩下がりなのは明らかだとは思うけど、それでも日本は「国ガチャ」でいうと圧倒的にアタリだと、特にルワンダなどアフリカの国なんかを見て心からそう思います。その代表的なものが、医療。技術と制度、二つの面で。

そうじゃない国との対比の方が分かりやすいと思うので、ルワンダでの事例をいくつか挙げます。

息子が骨折したとき。
受付で「こりゃぁ折れてるね〜」と言われて、受診料を先払いして(ルワンダはまず受診料を先払い。検査が必要と言われたら、またその費用を先払いした人だけが検査を受けさせてもらえます)、いざ診察室の先生と話すと、「こりゃぁ折れてるね〜。でも、今うちレントゲン壊れてるんだよね」「…は?」

ちなみに、サムネの写真はその時の息子。レントゲンを撮ってくれる病院へ再度出直し、石膏で固定してもらって、またシャツを着たいんだけどと言うと医者に「impossible !!」と言い放たれ、上裸で帰路についたときの一枚です。溢れる昭和感。

娘が高熱を出したとき。
ルワンダでは、高熱が出たらまずマラリアを疑って必ず血液検査がされます。世界では、マラリアでいまだに年間40万人以上の方が亡くなっています。(ほとんどがアフリカ地域に集中)手遅れになると死に至る病であるマラリアかどうかを調べて、そうでなければ、たとえ高熱でフラフラでも、咳が止まらなくても、「マラリアじゃなかったよ!お疲れ!」って感じでおしまいです。クリティカルなことがあると、それ以外どうでも良いとされる現象です。

雇っていたお手伝いさんが、まだ8ヶ月の子どもを亡くしたことがありました。
最初は高熱、下痢から始まって、あっという間に亡くなってしまいました。最後は脱水で涙も乾き切って、病院へと向かう母親の背中で息を引き取りました。病名は分かりません。日本だったら助かってただろうな…と思ってもしょうがないことを思わずにはいられませんでした。

また別の雇っていたお手伝いさんは、出産で帝王切開をした際、そこから感染症になって、なかなか職場復帰できませんでした。日本ではまずないことです。

文化・社会的な面でも日本と違います。
知人から聞いた話で、雇っていた従業員が子宮外妊娠で倒れ、死の危険が迫っているというのに、病院(ルワンダ随一のプライベート総合病院)では「中絶になるから手術はできない」の一点張り。ルワンダは中絶が違法とされています。でもそもそも、子宮外妊娠の手術をすることは、中絶とは違う。でも現場の医師たちは、彼女が本当に危険な状態になるまで手術を拒み続けました。

救急車も、日本みたいには来ません。
アジアンキッチンのスタッフの一人が、店の前の大通りではねられて大怪我をしました。頭から血を流していましたが、救急車は1時間以上来ませんでした

適切な医療が適切なタイミングで受けられないかもしれない恐怖感が一瞬日本でも漂ったのは、そう、コロナ禍の「医療逼迫」です。実際に、コロナに罹患して受け入れ先の病院が見つからず、赤ちゃんを亡くしてしまった妊婦さんがいて、日本に衝撃が走りました。でも、これは普段はまず起きないことだから、ニュースになるんです。
ルワンダでは、こういうことがコロナ禍でなくとも、頻繁に起きています。日本では14回受けられる妊婦健診を一度も受けられず、お腹のなかで赤ちゃんが大きくなってから異常がわかり、母子ともに命を落とすこともあります。ルワンダの逼迫していない普段の医療体制が、「崩壊していた」日本の医療体制よりも圧倒的に脆弱であることが想像できると思います。

日本の素晴らしい医療体制へのアクセスを手放せるかどうかは、海外移住を検討する人なら必ず考えないといけない事柄です。
移住の予定がなくても、自分が老いたときどうなるのか、子どもたちが受けられる医療体制はどうなるのか、考えておいて無駄にはなりません。
個人的には、制度としての側面は必ず崩壊するけれど、(だって支えられる人が増える一方で支える人は減る一方だから)それをも解決するテクノロジーが出現することを祈っています。

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無事に治ってギプスを外した時の息子。

こちらの内容を音声メディア Voicy でお届けしているのがこちらです。(朗読ではありません)良かったら、音声でも聞いてみてください♫



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