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書きたい気持ちのおすそわけ

週末に書きためたnoteを平日に予約投稿しています。

記事が公開される時間をまだ仕事中の時間帯に設定しておき、帰りの電車のなかでnoteを見ると、ありがたいことにすでにスキがついていたりしてほっこりします。

本当は毎日書きたいことがあるのだけど、心にも時間にも余裕がなくて、日々の生活のなかで消えていってしまうものばかり。

大切な人ときらきらした毎日を過ごしたいとおもいながら、日常のささやかな幸せを見逃して、息をするのすら必死で、忙殺されているような感覚。


書きたいことがあっても、「こんなこと書いてもだれも興味ないよ」と心のなかの私が囁きます。それは、だれの言葉なんだろう。

だれかに認められたくて書くことは、とてつもない茨の道の入り口。
ほんとうは書くことには正解も不正解もなくて、PV数にも、スキの数にもはかれない力がある。

だから、私が伝えたいと思って書きとめた言葉は、だれかに届くことはあるのかもって少しばかりの期待をしてしまう。

書きたい気持ちをろうそくの火にたとえるとしたら、
書かなくてもいいかと思ったとき火は消えるんだと思います。

そうやってろうそくの火が消えたとき、立ちのぼる煙にすこし後悔します。
しまったなあって。
書けば、文章にすれば、だれかに届くものがあったかもしれないのにって。

ふらりさんのこちらの記事を読んで、「ああそうだな」と思いました。

書かなくてもいいかと思って消えていった言葉や思いは、だれにも届くことはない。

「なんだか上手く書けていない」そう思って消してしまった過去の記事も、だれかには届いてたのかな。


フォロワー数やPV数をふやす方法、よく読まれるnoteの書き方、そんなハウツーを目にする度に、戦略的に書かなければいけない、という思考に陥ってしまう。

アカウントの世界観を統一させて、書く内容のクオリティにこだわり、量と質を両立させていく。

そんな風に多くの読者に読まれるnoteをつくっていくことを楽しめる人もいれば、ただ自分が好きなことを好きなように書いて楽しんでいる人もいる。

書くことは、どこまでも自由なんだから。


いちばん最初に投稿したnoteは、はじめはまだPVが20くらいだった。
それでも、20人も私が書いた記事に出会ってくれたことは、とんでもないことのように感じたんだったっけ。

まっさらなnoteに文字をしたためていくことの喜びは、忘れないようにしたい。


おすそわけしてもらった火で、私もだれかを照らせますように。


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