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考えるか、動くか~続・能動的に本を読まない

つい先日書いたK先生の読書論の話、本人から読みましたよ、と連絡をいただいた。
そして1時間ほど話をさせてもらった。
K先生の読書論の話には続きがあった。

彼はキックボクシングのインストラクターになる前、営業の仕事をしていたとのこと。
もともと活字が苦手だが、そこで上司に『読みなさい』と勧められたのが、例によって自己啓発系ビジネス書だったそうだ。
「どれを読んでも結論は『行動しなさい』って書いてあるなら、身体を動かして行動に移した方が早いし、僕の性に合ってるんですよ。だから、読む時間がもったいない」

「それに、行動して出向いた先で別の方と出会って、そこから違う興味関心が広がることがあるんですよ。それが、僕、とっても楽しくて」
電話越しではあったが、先生の声は熱を帯びていた。


前述したかもしれないが、K先生は『1日1人、新しい人と会う』を人生の目標にしているという、スーパーアクティブマンだ。
本職の傍ら養鶏場を訪ねたり、農業をしたり、こども食堂に携わったり、自身のスタジオでいろいろな講座を開いたりしている。

彼はこう続けた。

「今そうやっていろいろ動いてるでしょ。そしたら、優先順位を付けなあかんから、今は本を読むのは順位から外そうかな、と」

能動的に、というよりも、選択的に本を読まない
という言葉が正しいように思えてきた。

一言一言が、自分の人生の中に無かった考え方であった。わたしは話を聞きながら、マイノートに万年筆をさらさらと滑らせた。

私は動く前に指針が欲しくて本に救いや学びを求めてしまうのだ。いわゆる他人軸かもしれない。
大概が読後感を味わうだけで実に出来ずに終わっているけれども、完全に実に出来ている人は居るのだろうか。

家にはエンタメとして読んでいる本、悩んだときに本屋に立ち寄り、お守りのように抱きしめて帰ってきた本。
著者のファンで推し活のように買っている本。あまたの本がある。

話はもどるが、読まない選択がある。
あえて、優先順位をつけて、今は読まない。
その潔さが清々しかった。

これが、K先生と話した際の感想だ。

自分の軸で生きている人を見ると、男女問わずかっこいいとすら思える。
今年の私の漢字は『』。
年が終わる頃には軸が少しでも出来ていることを願って、この文をしたためている。



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