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【臨床と宗教】 第11回 キリスト教ってどんな宗教?

前回まで
第6~10回まで井口真紀子先生との対談で,日本とイランの医療の在り方の違い,日本人の死生観の移ろいなどを紹介してきました.今回からはキリスト教の牧師で社会福祉にも通じる深谷先生との対談で,知っているようで理解できていないキリスト教やチャプレンについてお話を聞いていきます.

カトリック? プロテスタント?


 私は医師22年目となりますが,緩和ケアの研修で少し触れた程度で,正式にスピリチュアルケアについて教育を受けたことがないのです.また病院チャプレンとも自分の実習や働いているなかでは残念ながら出会ったことがなかったので,その辺も含め今回深谷先生にお聞きしたいと思っています.

 私自身は無宗教というか,どの宗教にも属していませんが,個人的にキリスト教には非常に関心があります.今回,先生のご著書の1つである『病院チャプレンによるスピリチュアルケア ─宗教専門職の語りから学ぶ臨床実践─』(三輪書店)を読ませていただきました.読むだけでもすごく勉強になりまして,今日もいろいろとお聞きできればと思います.よろしくお願いします.

深谷
 よろしくお願いします.私は両親とも無宗教だったのですが,かなり反発しながら中学も高校もキリスト教系(プロテスタント)に進みました.大学は上智大学の社会福祉学科に進学しました.もともと理系に行きたかった思いもあったのですが社会福祉を専攻しまして,これもキリスト教の洗脳かもしれません.

 でも在学中は全然社会福祉の勉強はしませんでした.上智はカトリックの学校で,それまでプロテスタントの学校で育ったものだから,カトリックの世界はとても新鮮で面白かったです.イエズス会の神父さんたちが教えてくれる仏教の話とか,そんな講義ばかり取っていました.


 基本的な質問となりますが,カトリックとプロテスタントではどのような違いがあるのでしょうか?

深谷
 バチカンを中心にローマ教皇をトップにして,全世界に広がっているのがカトリックです.国でいうとイタリア,スペイン,ポルトガル,フランスなどはカトリックです.大学でいうと上智,聖心,白百合みたいな感じですね.教職者は神父さんとか,司祭様などと呼ばれて生涯独身でなければなりません.シスターがいるのも特徴です.

 カトリックから宗教改革で分かれた分家がプロテスタントです.これはカトリックのように一枚岩ではありませんで,分家に分家を重ねていくので,沢山教派があります.イギリス,オランダ,アメリカ,最近では発展途上の国や中国でも伸びていますね.大学でいうと青山,立教,明治学院,同志社,関西学院などはそうです.教職者は牧師さんと呼ばれ,結婚することができます.性別は何でも,教派によってはLGBTの方もなることができます.

 教義ですが,プロテスタントは聖書中心主義です.そして信仰のみ,恵みのみ.浄土真宗の悪人正機じゃないけれど,善い行いではなくて信仰があれば神様の恵みで救われると考えます.カトリックはそれに対して教会や儀式を大切にし,善い行いも救いには必要と考える.ざっくりいうと,そんな感じです.

 カトリックの方が厳しいイメージがありますが,両方見てきた感じではそうでもありません.寛容でゆったりと幅が広いです.プロテスタントは多様性があり,LGBTの牧師も受け入れるような進歩的教派から,非常に保守的で女性牧師を認めない教派まであります.

若き日に感じた人間の死

深谷
 上智の社会福祉学科は当時,4年生になると85日の現場実習を受けさせられました.ほとんどクリニカル・エクスポージャーに近い感じですが,みっちり漬け込まれてしまいます.

 その間いくつかの現場を経験したのですが,最後は病院でした.そこは川崎市にある井田病院です.この連載の以前の対談で孫先生も井田病院に勤務された経験をなさっているとのことでしたね.当時は緩和ケア病棟ができる前です.ちょうどホスピスムーブメントが日本に入ってきた頃だったと思います.私は窪寺俊之先生の本であるとか,キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間─死とその過程について』のような本を大学生の頃に読んだ影響でスピリチュアルケアにかなり関心をもつようになりました.当時は医療ソーシャルワーカーをやりたいと思っていました.

 井田病院へ通っている時,患者さんが亡くなっていきます.そんなに長い期間ではないですから,そんなにたくさん亡くなったケースに会えたわけではないけれども,病むこと,亡くなることを考えるという経験をしました.

 たしか実習の最後ぐらいに法医学の先生から,亡くなったばかりの患者さんの遺体の解剖の研修に誘われました.よせばいいのに当時は22歳の女の子であったわけですが,緑色の手術着をつけて,井田病院の裏のほうにある解剖室に行くわけです.そこで人間の内臓を詳細に見ました.ドクターが「これが腎臓だよ,これが肺だよ,肺の中に白いものがあるでしょう,これが癌だよ」と出してくれて,最後に死体をジャブジャブ洗います.それを見た時,人間の死とは何だろうと結構突き詰めて考えた記憶があります.そのことが私の原点になります.

教師とキリスト者としてのキャリア

深谷
 就職は神奈川県の公務員として福祉職で入りました.でも,配属されたのは想像と全然違うところで知的障害児の施設に入ります.そこでどっぷりと生活支援を担当することになったんです.尾籠な言葉で話すと「うんこのクリームにおしっこの香水」みたいな感じで,がっぷり四つに組んで子どもたちと暮らす生活を4年ぐらいやりました.しかし施設の在り方に疑問が湧いてきたりしてバーンアウトしてしまい,仕事をやめて大学院に入る選択をしました.

 大学院でやったことはスピリチュアルケアではなくて,どちらかというと組織の病理性の話です.社会福祉というよりは社会学ですね.修士論文を書いてドクターまで行きましたが,その頃はちょうど社会福祉の資格制度が始まった時です.大学院を出て,現場経験があって,とくに博士に行っている人は引っ張りだこでした.なのでドクターの3年生のときに厚生省立の日本社会福祉事業大学に引っ張られてしまって,社会福祉の実習教育の担当として実習助手という形で働くことになりました.そこからずっと社会福祉畑を歩いてきました.

 それから立正大学に移って社会福祉の学部の実習教育の立ち上げにかかわり,2000年に現職の明治学院に着任しました.以来ずっと社会福祉の実習教育をやってきているのですが,着任してすぐの2001年に,ゼミの学生さんが突然鉄道自殺をしてしまったんです.私としては,自分は何をやっていたのだろうという気持ちになったわけです.医療でいうところの看取りとは違うけれども,私は学生さんの魂のケアをしていなかったのではないかということに気がついてしまったんです.要するに,自分はキリスト者として魂の看取りに何の責任も果たしてこなかった.教師として知識の切り売りをしていただけではないかという自覚が生まれて,それで2006年に神学校に入ることを決めました.

 明治学院大学の社会福祉学科の教員というのが今の仕事ですが,もう一足のわらじで日曜日は牧師をやっていて,そこがスピリチュアルケアへの関心の再燃とかかわってきます.ちょうどスピリチュアルケア学会が設立されまして,学会のできた2007年頃から参加しています.2008 年の第 1 回学術大会でも発表した記憶があります.

 スピリチュアルケアということでいうと,今はなくなってしまったのですが,東京看取り人プロジェクトというところで教育システムにかかわって養成教育をやってきました.

 キリスト教系病院でチャプレンのスーパービジョンの仕事も2年ぐらいやったと思います.東京看取り人プロジェクトでもスーパービジョンはたくさんやってきていますし,日本スピリチュアルケア学会ではスピリチュアルケア師の指導資格のスーパーバイザーという形になっています.直接は関係ありませんが,社会福祉の関係では社会福祉士の1つ上級の資格の認定社会福祉士という資格がありまして,そちらもスーパーバイザーになっています.

イエスはメシア=キリストである


 今のお話のなかだけでもお聞きしたいことがいくつか出てきましたが,まず大きい枠組みからお聞きしたいと思います.キリスト教は今回のテーマの1つですが,キリスト教の特徴,その大枠について教えていただけますでしょうか.

深谷
 キリスト教はナザレ人,イエスによる創唱宗教といわれています.歴史上のイエスはユダヤ教の教師であるラビの1人とされます.研究者によっては革命的貧農と言う人もいれば,さすらいの巡回霊能者と言う人もいたりするという歴史的フォルムとしてはかなり面白い,ユニークなフォルムだったのではないかと思います.そのイエスがイスラエルという国のなかで神が遣わしたキリストであるということを信じるのがキリスト教です.

 旧約聖書にはメシア,つまりキリストが来るという預言が書かれており,それが長いこと信じられていて,そのイエスこそがそのメシアであり,それがイエス・キリストという意味なのです.イエスこそが苦しむ民衆に待ち望まれてきたメシアであるということです.

 イエスがメシアであると信じた弟子たち,そこには直接イエスとはかかわらなかったパウロのような人もいますが,そういう人たちが教会を形成してキリスト教会となっていった.だからイエスの教えを信じる,しゃべったことを信じるということもあるけれども,イエスこそが長いこと待ち望まれてきたキリストであるというのがキリスト教の本当の大枠です.

孫:ありがとうございます.すごく勉強になります.僕はキリスト教作家である遠藤周作の著書『イエスの生涯』(新潮社)や宗教史研究者レザー・アスランの『イエス・キリストは実在したのか?』(文藝春秋)を読んでイエス・キリストの存在論的なところにずっと関心を持っていました.これらの本を読んでいると,神のような存在であるイエスがとても人間らしいというか,たしかに実在していた人だったんだなと,とても身近に思えてくるんですね.

 また,先ほどパウロの話も出てきました.パウロはたしか最初は迫害者だったと思います.強烈な光に打たれて回心したという例のパウロですね.このパウロという人も,すごく人間くさいというか,180度心が変わったという意味でとても興味深い人ですね.「回心」も『病院チャプレンによるスピリチュアルケア』に出てきて,こういう意味があるのかと,ものすごく勉強になりました.

深谷
 回心,というのはある日突然キリストに出会って,人格も生き方も全く変えられてしまうことです.キリスト教は出会いの宗教とも言われることがあって,キリストと人格的に出会うことによって,自分が神にありのままに愛されていることを知り,ぐちゃぐちゃに泣き崩れて,全く違うあり方,生き方をするようになる.キリスト教のスピリチュアリティの大事な部分ですね.愛に出会う体験,愛される体験,これは大なり小なりクリスチャンなら誰でも経験するのですが,有名なのはヤクザだった人がキリストに出会って回心し,牧師になるみたいな例です.実際にそういう知り合いもいます.有名な「アメージング・グレイス」の歌は奴隷商人だった作詞者がキリストと出会い回心したことを謳った歌ですね.

次回に続く)

※本内容は「治療」2022年1月号に掲載されたものをnote用に編集したものです


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