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読書のはなし


ある日の、Alexの英会話クラスでのこと。
そもそもの主題はさておき、「時」について、「時」を感じる行動に何があるかを話していたところ、

私も含めみんなきっと、昔よりは遥かに忙しい生活をしてるから、スケジュール的な時間の感覚はともかく、”有意義な時間” みたいなものを感じる人ってもう少ないんじゃないかなって思う。けど、私の場合、読書=時間に余裕があるっていう感覚があって。それは多分、日常的に読書をしていないから、他の人でいうスポーツやアクティビティなんかと一緒で、ある種の非日常的な行動であるだけかもしれないけど。
まあだから、読書をしている時の時間の進み方とか感覚は私にとって少しいつもと違う気がしていて、なんか、何も急いでいない、"無" に近い状態が逆に「時」を意識させるというか。まるで「休め!」って言ってるみたいに、忙しい時ほど「読書したい!」って体が勝手に思うように何故か最近なっている気がする。

と、私は答えました。
(これを書くにあたり、一部補足を入れていますが、)


続けて、

ちなみに私が好きなスタイルは、日中に出来るだけ広大な野原や公園に行って読書すること。芝生で寝転んで読むとか最高。それが難しければ、家でもカフェでも、珈琲片手に読書できる空間があればOKなんだけど、どっちにしても、自然を感じられる環境が好きなのかも。屋内でも出来れば窓を開けて、風の音や、外の音を聞きながら読みたいし、雨の日の読書なんか最高だよね。

もしかしたら私においての行為がたまたま読書であるだけで、読書が重要なのではなくて。本当は、「時」を感じる=自然を感じるということで、有意義な時間の本質も実は自然と触れることだったりするのかも?

なんて答えながらクラスの話題はどんどん変わっていったのですが、これを書き始めた30分前くらいに上述の会話を思い出し、うん、やっぱそうなんだろうなと改めて感じたとある休日の日中。



学生時代はむしろ苦手だった読書という行為に有り難みを感じ始めたのも、大人になって、仕事を頑張るようになって、忙しくなって。有意義な時間を感じ難くなってきたから、手助けするかのように勝手に、読書への興味が湧いたのかもしれないな、と思いました。

そして、
読書スタイルから自然の恩恵に考えが及んだのも、想像できるイメージというか憧れ(?)のイメージ像というものが実は既にいくつか存在していて。結局のところ私は単なるミーハーだと宣言しているようなものなんですが、私が今持ち合わせている空間の感じ方や色々な感性もまた、これまで私が見聞きしてきたものからの影響が強いんだなと改めて感じているのです。



例えば、
映画『Paterson (パターソン)』で、バスドライバーのパターソンが休憩中にいつも寄る大きな滝の前、ベンチに座り、自作のポエム執筆に没頭するシーン。
読書ではなくポエムという創作活動にはなりますが、滝という自然環境はもちろん、型にハメられたような規則正しすぎる生活をしているパターソンというキャラクター設定からすると、この滝に座るシーンは唯一、彼に与えられた自由の時間といった演出であり、時間は無限であるような印象を感じさせます。



例えば、
映画『耳をすませば』での、夏休み中に雫が図書館へ通う道中の背景。
言わずもがな圧巻の画力ですが、樹々の美しさや空の表情が素敵で、読書中の描写ではないものの、読書をしに行くための動作・時間に存在する自然環境も合間って、有意義さを演出しているようです。(これは本当に、学生時代ならではの時間の過ごし方だな、と。羨ましい。)

あと個人的に、この映画は小さい頃から何十回も見ていて、私のバイブルの1つと言っても過言ではありません。本を読み漁り、物語を書くことに挑戦していくストーリー、本に囲まれた世界。この作品そのものが無意識に影響しているとも言えるかも。



例えば、
映画『Notting Hill(ノッティングヒルの恋人)』の最後。こんなに美しい緑色の中心で本を読むなんて、なんて贅沢な!いわゆるプライベートガーデンなので、植物の管理はもちろん、環境として文句の付け所がない。完璧。



例えば、
映画『Moonrise Kingdom(ムーンライズ・キングダム)』での、この1シーン。屋内ですが、本を読むなら絶対に窓の側やろ!とでも言わんばかりの雰囲気。



例えば、
映画『By the sea(白い帽子の女)』での、このシーン。舞台が南フランスだから、そりゃ絵になるし本も読みたくなるわ、とも思いますが、リゾートホテルのバルコニーで海の音を聞きながら活字に触れるのはなんとも有意義ですね。途中から読んでるフリになっていくのはさておき。※この映画見た人は分かる、、




無意識なだけで別に、
自然はやっぱりそこにあって当然なものだからなのか、

「休憩」「"空" の時間を感じる」といった
本能的作業に実は自然が強く関わっているからなのか、

実際にはよく分かりませんが、人間と自然界というのはいつも密接な関係にあるんだろうな、と漠然と感じます。直接的な作業をしていなくても、目を向けてみると、自然の恩恵が実はすごくたくさんあったりする。


もし、温暖化のせいか、技術革新なのか、分かりませんが、例えば今見ている風景から自然というものがごっそり無くなり、色んな技術で構成された新たな世界というものが仮に出来上がったとして、例えそれが地球レベルで影響を及ぼさない何かだったとしても、たぶん容易に気が狂うだろうなと想像してしまいます。





そんなことを沸々と考えながら、私は近所の本屋でまたしても本を購入していました。

右手の『愛するということ』は、谷川俊太郎がコメント寄せてるから、つい手にしてしまいました。
これもいわゆる、ジャケ買いってやつですね。








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