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ジパング弁当

ベトナムのホーチミンシティには2年ちょっと住んでいた。今やブラック企業の代表になってしまった某広告代理店で、営業をやっていた。

ベトナムは、食べ物が美味しい。脂っこくなくて、野菜が多くて、米が主食で、量もバカみたいに多くない。控え目に言ってとても日本人に合う食事だと思う。その一方、野菜の中に見たことのない葉っぱが混ざっていたり、米は米粒よりも粉にして加工された麺などがメインで、食べると時々お腹が緩くなったりもする。

特筆すべきは、日本食のレベルの高さだ。ベトナムに来る前に住んでいたシンガポールももちろん日本食レストランはあったし美味しいところもたくさんあった。しかし価格(安い)と味(美味しい)と種類の多さ(下記参照)では全くホーチミンシティに太刀打ちできない。住んでいたのが日本人街とも呼ばれるエリアだったこともあったが、漫画喫茶みたいなカフェもあったし、オムライスとか、カレーとか、スシとテンプラだけじゃない日本人向けのふつうの日本食が食べられるところがけっこうあった。

ブラック企業っぷりを話したい。平日は9時から18時までが通常勤務時間。でも、例えば土日に友人とカフェでお茶していると、海外出張帰りのクライアントの日本人社長から電話がくる。空港近くにあるブランド名のネオンサインの電気が切れてるから、業者に連絡して早く直してほしいという依頼だ。
すぐに部下に連絡し、業者に連絡してもらい、いつ直せるか確認して社長に折り返す。その後、連絡の通りに業者が直しに来るか、現場に行って見て、来なかったらまた連絡する。修理が半端なのか代替品が中古かなんかなのか、修理してもすぐにまたネオンは消え、クライアントは文句を言い、部下に連絡し、というようなループの中に、週末は消えていく。

ある下着メーカーが店舗を作るというときは、18時に仕事を終えてから(正しく書くと、仕事が終わるのはだいたい20時か21時)、22時から店舗の工事に立ち会う。昼間営業しているショッピングモールの中なので、営業終了後しか工事ができないのだ。工事の進捗状況を現場で常に確認していないと(実際確認していても)遅れが出るので、差し入れしたりしながら、様子を見る必要がある。工事は明け方の6時に終了する。家に帰ってシャワーを浴びて、1,2時間仮眠して、9時に出勤。
これが1ヶ月以上続くと、何だか自分の命の灯火が細まってくるのがわかるようになりますよ、マジで。

そんな生活を送っていた私が、今も生きていられるのは、ジパング弁当があったからだと信じている。

ジパング弁当は日本人の方が経営していたと記憶しているが、お店にいるのはいつもベトナム人の女性で、日本語は通じない。割とちゃんとした、日本でも買えるようなグレードのお弁当が、3,4ドルぐらいだったかと思う。

元々雑食というか、好き嫌いも特にないので、ベトナム料理も、韓国料理も、フレンチも、レストランでも屋台でも、塩っぱいのも甘いのも、何でも好きで何でも食べる。ジパング弁当の店は、会社から家に帰る途中の小道をはいったところにあったから、便利でよく寄るようになり、気が付けばけっこうな割合で食べるようになっていた。

おかずは日替わりで、例えばある日は魚のフライ、春巻き、なすの煮浸し、サラダ、お新香、とか。みっちりと入っていて満足感がある。海外にありがちななんちゃって日本食ではなく、日本のお弁当屋で買うのとなんら変わりない。むしろ美味しい。日替わりなので、あきることもない。本当に本当に、これはありがたかった。

作っていたのはベトナム人の方達だと思うのだけれど、ベトナム人は、とても器用で、細部まできちんと仕事をするという印象がある。だから日本食の作り方や味付けを教えたら、同じクオリティのものを作ることができるのだ。そういう能力が高いのだと思う。これはジパング弁当に限らず、例えば、洋服のカスタムメイドなども雑誌の切り抜きを見せるだけでもかなりの本物に近いものを作ってくれる。

ジパング弁当はテイクアウト専門の店で、日本の漫画が置いてあって、弁当ができるまで自由に読むことができる。葛飾区出身の私はこち亀を読んで描かれている景色に泣きそうになったりもした(こち亀の背景はだいたい葛飾区のどこかの本当の風景なので、知っている場所が描かれていることがある)。
そのうえにこのお弁当のクオリティ。私は生まれて初めて、ホームシックになった。小さい頃に家族で海に行ったときの夢を見たりした。弟が波打ち際で寄せてくる波を恐がって泣くのを、若い父が抱きかかえる……。

さっき、ジパング弁当のお陰で生きていると書いたが、これは大袈裟でも比喩でもなく、身体的にも精神的にも、私を支えてくれていたと言っていい。私はその後体を壊して会社を辞め、帰国した。でも精神は病まなかった。自分の神経の図太さには改めて驚いたが、これは本当に、ジパング弁当のおかげだと思っている。美味しい食事だから、きちんと食べる。食べたら眠くなるからちゃんと寝る。短くても深く眠る。この繰り返しが私を生かしてくれたと思っている。

海外に住んでいると、自分が日本人じゃなくてもいいような気持ちになることがある。現地の言葉を覚え、カルチャーを学んでいくうちに、日本人らしさはどうしても目減りする。でも、このジパング弁当は、いつも私を日本につなぎ止めてくれていたように思う。日本人として、何を良いと思い、何を美味しいと思うか、食べるたびに私は日本人なんだと感じ、日本人としての感性を呼び起こして、忘れないようにしてくれた。

日本に戻って10年以上経つ。その時発病した病は一生付き合うものとなったが、薬を正しく服用し、規則正しい生活をしていれば日常生活が送れている。規則正しいとは、決まった時間に寝起きし、ご飯を食べ、充分に眠ることである。それを教えてくれたのが、ジパング弁当だ。あのお弁当をまた食べてみたいなと、今も懐かしく思う。

#元気をもらったあの食事

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