見出し画像

「わたしたちの人文地理学」に向けて

 今日は少し抽象的な内容を書きます。きっかけは、noteの記事一覧に「人文学」という項目があって、そこに並んでいる記事をいくつか読ませていただいたことです。人文学には、おもに哲学、歴史学、文学は含まれていて、noteの記事でも様々な内容が取り上げられていました。勉強になるもの、考えさせられるもの、楽しくなるものなど、様々です。

 私が学んできた「人文地理学」について、少し紹介します。大学の地理学を学んだことのない方は、「地理」という言葉は聞いたことがあっても、「人文地理学」という言葉は知らない方もいらっしゃると思います。「人文地理学(じんぶんちりがく)」は、自然地理学とともに地理学を構成しています。人文地理学にも様々な分野があり、経済地理学、社会地理学、政治地理学、歴史地理学、都市地理学、農村地理学など、多様な専門分野で研究が行われています。

 人文地理学はとても幅広い関心のもとに成り立っているのですが、その名称から「人文学」の一分野であるととらえることができます。学問分野を大きく分類したとき、「人文学(人文科学)」「社会科学」「自然科学」という区分をすることができます。人文地理学は大枠では人文学に含まれますが(と私は考えていますが)、経済地理学は経済学との関連が深く、都市地理学なら都市社会学などとの関わりが深いなど、社会科学の一部としてとらえている人もいると思います。

 人文地理学に取り組むときの姿勢について、少し考えてみました。学習や研究は、楽しさとともにある場合もあれば、困難や課題に向き合うこともあります。私は地図が好きで、眺めるのも自分で作るのも好きです。また、街歩きや旅行が好きで、新しい土地に出かけるときはとても楽しいです。一方で、そうした楽しさだけで学問は成り立ちません。社会で困っている人、つらい思いをしている人など、個人や社会の抱える困難や課題はさまざまです。そうした困難や課題と向き合うことだけが大切というわけではないですが、楽しいことばかりに目を向けてそれらを見ないようにすることはできません。

 また、何かの社会的な困難や課題と向き合うとき、どうしても付きまとうのは、「どうすべきか」という意見を示すことの是非です。「どう解決すべきか」「何が問題か」といった問いを立てることは、とても難しいですし、まったく中立かつ客観的という立場で意見を述べることはできません。

 こうした葛藤は、人文地理学に限らず存在すると思います。歴史学でも楽しく学ぶ歴史もあれば、歴史をめぐる意見の違いについての論争と向き合うこともあります。経済学でも、どのような社会を理想とするかによって、その方法は変わってきますし、それが政策にも影響を与えます。

 では、こうした葛藤とどのように向き合うことができるか、考えてみます。結局のところ、それぞれの中にある正しさや理想に、まったく影響されない研究はないと思います。中立で、客観的で、偏見のない、正しい学問、のようなものはないといってよいですし、あると考えるのは危険なことだと思います。もちろん、思い切り偏って、人の意見を聞かないでよいという意味ではありません。私たちにできることは、自分の学問を大切にしつつ、誰かの学問を大切にし、私たちの学問を作っていくことだと思います。

 偉そうなことを書いていますが、学問はずっとそうやって成り立ってきました。それは、「批判的」という方向性です。「批判的」とは単なる非難・否定ではなく、お互いの意見をしっかり聞き、理解したうえで、それに対する自分の意見を述べることです。

 「空気を読む」こと、「みんなと同じようにふるまう」ことは、ついつい誰でもしてしまいますし、そうするように周りから見えない圧力を感じることもあります。それでも、自分には自分の意見、考えを持つことが大切です。そして、それは独りよがりになることが良いという意味ではなく、自分をしっかり持ったうえで、「対話」をすることが大切だということです。

 だんだん人文地理学の話でなくなってしまう気がするので、最後にまとめます。これは私の考えですが、どんな学問にも主義主張や立場はありますし、それを曖昧にすることはできません。地図を扱うときでも、見えない現象を地図により可視化することが、誰かをつらい立場に置くこともあります(特定の社会集団の地図化など)。地理を楽しむ一方で、そうした私たちの行動が与える影響をしっかり自覚し、向き合うことが大切です。とはいえ、深刻に難しいことばかり考えている必要はなく、明るく前向きに研究や学習を進めることが、誰かの助けになることもあります。

 こうした、行ったり来たりで、進んだり止まったりしつつ、喜んだり後悔したりの繰り返しの中で、ゆっくり続けていくしかないのかなと思いました。そして、その先に私が目指しているのは、私だけのものでもなく、誰かだけのものでもない、「わたしたちの人文地理学」であると考えました。まとまりのない文章ですが、何かの形でまとめておきたかったので、書きました。お読みいただき、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?