『saṃsāra(サンサーラ)』15

15       時
 
七回の鐘が鳴り響く。
ドーンとかボーンと
高く高く鳴り響いていく
空を独り占めにするかのように。
 
鐘の音が響くと今までの空間が、待ってましたかと言わんばかりにゆがみ始める。蝶も橋もクジラも今では蚊帳の外。そうして、時間という時間がたくさん降ってくる。あらぬ方向から。あちらこちらから。
見たことも聞いたこともない勢いで、あちらの時代からこちらの時代へと、いくつもの池を泳ぎ続ける魚のように、そう見えてしまう。そう見えてしまった。
すると、今まで私の胸でおとなしくしていた魚の卵は、私の懐を飛び出してそれらの池の中で泳ぎ始める。むろん魚の形をしている。
私の知らない時代、その当時の着ているもの、その時々の話す言葉。いろいろな地域。どこともわからない地形。いろいろなものが散々降ってくる。
ただただ、戸惑うばかり。ただただ、戸惑わせていく。
「何も全部を知ろうとする必要はなくて良いんだ。気になるものだけを見つめるだけでいい。余計なものは見なくてもいい」
「旦那様。私は犬ですが、よくわからないことだらけですが。何も全部を受け入れる必要はないのです」はぁはぁと息も絶え絶え娘と同じようなことを犬は言う。犬はどんどんやつれていく。年が深くなっていく。
私の懐から出た魚は、今では大きな虹色をしたものに姿を変えて。あちらの池こちらの池を振ってくる時代に逆らいながら、降ってくる時代に従いながら。自由に行き来している。そして私たちについてを、聞いて回ってくれている。いつまでもいつからか。
それで娘は何がどうでどういったもので、そんな事を聞いた。耳では聞いても頭には何も残らない。この犬がどうしたこうしたものだという話も。魚は細かく説明してくれている。あちらの時代こちらの世界を飛び回って私たちのことを、私たちのかけらを拾い集めてくれている。しかし私の体はそれらを通り過ごしていく。もちろん私についての事柄も事細かく教えてくれるのだが。何一つ残ることはない。何一つだって理解することができずにいる。けれど私には、そんなことはどうだってよくなってしまっている。そんなものは、私の中に何の価値もなく、まるで意味がないものだ。そんな風に魚の説明を受け止める。
「そうそう。そういうものなんです。別にそれを理解したとて、この先には何も関係がなくて。これから先の時代も場所もそれには出ているのでしょうが、何一つ関係ないのです。これから先はすべてあなたのものですから。これよりこの前は全部どうでも良くて。この先すべてを決めていくのは、結局あなたなのですから」
犬の顔をちらりと見やる。
「旦那様。あたしは犬ですよ。何一つだってわかりはしません。この先だって。昨日のことだって。」
時間がたくさん降ってくる。あらぬ方向から。あちらこちらから。
見たことも聞いたこともない勢いで、あちらの時代からこちらの時代へと、私の聞いたことのない時代、珍しい衣、カタカナな言葉。大小さまざまな地域。理解に苦しむ不思議な地形。聞いたことのない音。不可思議としか言いようのない匂い。いろいろなものが降ってくる。目の前をくるくるくる。私を混乱させるように。私たちをかく乱するように。
ほどなく私に眩暈がやってくる。降ってきくるものにとことん圧倒されていく。
「仕方がないことですよ。誰もがそうなるし。そうならないことの方が珍しい」頭の先でそんな言葉が流れている。あの娘の声。
「旦那様。旦那様。気を確かに持ってくださいね」
落ちていく。深く。体が滑り落ちていく。自分の質感がなくなっていく。消えていく。どこかに。下に上に。横に。向こう側へ落ちていく。
 

ひとまずストックがなくなりましたので これにて少しお休みいたします。 また書き貯まったら帰ってきます。 ぜひ他の物語も読んでもらえると嬉しいです。 よろしくお願いいたします。 わんわん