宗教2世の結婚、伝統キリスト教の場合(クリスチャン同士で結婚するかどうか)

ここしばらく、私がメンタルを崩して動けなくなって以降のことを書いてきました。教会で直面したことなど色々と…。



そして(母から言われ続けたのもあり、治ってないのに)精神科通いをやめるかやめないかくらいの頃、私に同じ教会の男性との交際話(実質結婚話)が持ち上がりました。

結論からお話しすると、私はこのお話をきっかけに「私はクリスチャン同士での結婚はしたくない」と決めました。

私はその方と交際するかどうか悩みながら、子どもの時から教会が嫌いだったことに気づいたんですね。そして長年の「嫌い、嫌い、大嫌い」が一気に吹き出して、教会に行けなくなったんです。

親もクリスチャンという人間同士が家庭を持つということはどういうことかを考えたとき、この宗教とどう付き合っいきたいのか、答えの一端が出たのは事実です。

この時の縁談話の顛末と、その後私がクリスチャンでない男性と結婚するまではnoteを書き始めたとき記事にしてきました。

今日からしばらくは過去のnote記事のリンクを貼りつつ、補足記事を書きつつ、1人の宗教2世が自分の結婚にあたり、何に悩み、何を考えたのかを書いていければと思います。

では早速リンク記事を貼り付けます。

上記はまず、私が縁談を機に、クリスチャン同士と結婚はしないと決めた時の話です。

キリスト教の教えや日曜教会に行くという習慣、教会の気難しい大人たちの顔色を伺う子ども時代(〜20代前半)を、将来生まれるかもしれない我が子に押し付けるわけにはいかないと思いました。

私は散々、バランスを欠いた教育をされて生きづらかったかったです。
そもそも幸せな家庭を築くイメージは湧かないながらも、私は子どもに押し付けるより前に、子どもの気持ちを聴く親になりたいと思ってきました。

宗教色が強い家庭の人と結婚するということは、私がしたい子育てと正反対のことをするよう圧力が掛かるということです。
ましてや自分が疑問をもち、苦しんできた考えや環境を子どもに押し付けるなんて、絶対できないと思いました。

そして家庭を持つことを考えることは、自分の今後の生き方についても考えることです。
ああ私、もうこの先は教会の人たちのご機嫌を取るのは嫌だな…。そう思ったら教会へ行けなくなりました。

母は激昂しました。
怒鳴られたり無視されたり、色々ありましたが、
「もう母には私を殴る体力はないのだから」
と放っておきました。精神的にはかなり参っていたけれど、元々ボロボロなので、これ以上負荷加わっても別に変わらないよねと…。

その後私は、クリスチャンでない男性と交際し、その男性が今の夫なわけですが、その話はまたいずれまとめることにします。

今日の話はここまでです。
さいごに、関連記事として母が私をクリスチャンと結婚させたがった理由を書いたものを2つ貼っておきますね。

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