母が、娘がクリスチャンと結婚することにこだわった理由

私はクリスチャン2世として育ちながら、とあるきっかけで、クリスチャンとは結婚したくない自分に気づいた人間です。

その後、私はクリスチャンではない男性と交際、結婚しました。
この今の夫と付き合い始めたのちも、母は、私がクリスチャンと結婚することを諦めませんでした。

理由のひとつは、母の見栄だと思います。
教会では2世3世の結婚に、暗黙のランクがありました。

教会での世間体が大切だった母にとって、娘がクリスチャン同士で結婚するかどうかは大問題だったのだと思います。

そしてもう一つ、最近気づいたことがあります。

母は、自分の夫が未信者だから不幸なのだと信じていたのではないか。

私の母は、私が小学生の時に洗礼を受けました。私もその時に一緒に受洗、教会に通うようになりました。
その時の父は「別にいいよ」という、ごく軽いものでした。今思うと、父は私たちに関心がなく、どうでもよかったのでしょう。

両親の仲は冷え切っていて、母はクリスチャンでない父を見下していました。
私には、外で働き、教会活動を好きにさせてくれる父を見下せる神経が理解できませんでした。

でも、母は寂しかったのでしょうね。好き放題させてくれる反面、そんな自分に対して何も言ってこない父の反応のなさが。

母は正月やお盆のたびに、嫁ぎ先で奴隷のようにこき使われていました。そして見下されていました。

父はそんな母を庇うこともなく、母の苦悩をないものとして扱っていた。でも父もまた、あの家では次男として差別されて育った被害者でもあり、母への扱いに疑問を持つこともなかったのでしょう。

母の悲しみは嫁ぎ先での扱いにあったし、またそれ以前から母自身が抱えていた問題もあった。
救いを求めてキリスト教に依存したものの、根っこが癒されることはなかった。

母なりに「どうして神様を信じているのに、心が苦しいままなのか」と悩んでひねりだした答えが、
「夫が未信者だから。夫がキリスト教に興味を示さないレベルの低い人間だから」
というものだったのだと思います。
母の答えが正しいかどうかは、敢えてコメントしませんが…。

そんな背景もあり、母は本気で、娘がクリスチャンと結婚しなければ不幸になると信じていたのかもしれません。
でも母の理屈はあまりにねじれていて、私には届かなかった。

また、私は幼少期から母の暴力に苦しんできて、祈っても神は助けてくれないことを実感してきていました。
(私から見たら、母は加害者でもあるのですが、母自身は自分は一貫して被害者だと信じていました。今もおそらくそうでしょう)
母に対しては「何を言っているのだろう」としか思えなかったのは事実です。

娘を教会での最上の優等生に仕立てようとしたこと。そんな母の人生は、毒親という言葉ではまとめきれない悲しいものだったなと思います。

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