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やめよう、SNS自虐。

母が64歳にしてカウンセラーとして独立した。

毎日ブログを書いて、どうしたら集客ができるのかとウンウン唸っている。事あるごとに「有沙〜聞いて」と相談されるので、なんだかんだとブログの書き方や、開業の事などを話す毎日。

そんな日々の中で、母のブログはアメーバ公式にピックアップされる「アメトピ」に掲載された。しかも3回も。

内容はどれも父の食道がんの闘病記。娘のわたしが読んでも、よくまあこんなに細かくいろんなこと覚えてるなあと感心してしまう。

アメトピといえば、noteでいう編集部おすすめに掲載されるという事だ。しかも3回も。

3回も掲載されて、なおかつカウンセラー仲間だったり、本を出しているような界隈では有名な方のブログでまで記事を紹介されたりしている。

なのに母は毎日自信がない、自己嫌悪する、わたしのブログなんて…みたいなことをブチブチ言っているのだ。こんなに読まれ、アメトピにまで掲載されているというのに。

✳︎

SNSで目立つってなんだろう。
SNSで成功するって、なんなんだろうか?

わたしのnoteは、今175名のフォロワーさんがいる。

この数字を見て、どう思うだろう?少ない?多い?

175名の方がフォローしてくださるって、すごいことだ。だって、ほぼ会って話したことがない方がほとんどで、わたしの文章だけを読んで「これからも読んでみたい」と思ってくださったということなのだから!

SNSの世界で見れば、なんと少ない数字!かもしれない。でも、175名の方がひとつの場所に集まったらどうだろう?

旦那さんとわたしはミュージカルで出会ったのだけど、それは100人が100日で作品を創るというプロジェクトだった。

100人の出演者がいると、1500人を収容する劇場の大きな舞台がいっぱいになる。25人ずつの4チームが作れて、ダイナミックなダンスも、複雑なハーモニーも奏でることができる。

リアルな世界の100人という数字は、SNSの画面で見る「100フォロワー」とは体感するものがまるで違う。

ただ数字として見ているだけだと、少ないと嘆いてしまうものも、実際にその人数が目の前にいると考えたらだいぶ捉え方が変わる。

✳︎

わたし自身も過去によく書いていたのだけど、「フォロワー数の少ないわたしのnoteに意味があるのか」という文章をよく見かける。

でも、今は思うのだ。

意味が云々以前に、これってフォローしてくださっている方たちにとても失礼なことだったと。

もしも1人しか読んでくれる人がいなくても、そこには1人の読者さんがいる。わたしの、あなたの文章が読みたいと思って待ってくれている。

それなのに、「フォロワーが少ないわたしのnoteなんて」という文章を見たらどうだろう?なんだか悲しくなってしまう。

フォロワー数が数万人の人だって、最初はゼロから始まったはず。時には反応がないことに凹み、読まれたら読まれたで自信が持てず落ち込み、もうやめてしまおうか…そんな風に思った日々がきっとあった。

だからわたしは、日々淡々とコツコツと続けることが、そんな恐怖や不安に打ち勝つひとつの方法だと思っている。

「フォロワー数が少なくて」と書いている人に300人以上のフォロワーさんがいた…なんてのもざらにある。充分たくさんいらっしゃいますやんか!!と肩を揺さぶりたい衝動に駆られちゃう。

SNS自虐、やめましょう。

迷ったときは、目の前にリアルな人たちを思い浮かべよう。本当に、少ないのだろうか?そこに刻まれている数字は、ただの数字なんだろうか?

画面の向こうにいるのは、血の通った人間です。
あなたの文章を待っています。

SNS自虐、一緒にやめましょう。


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