子どもに全てを捧げるのは簡単だけれど。
語弊があるかもしれないが、目の前にいる子どもに全てを捧げることは簡単だと思う。
何を置いても子供を一番に考える。自分の行動の全ては子供を第一に考えて決める。
自分の精神を、心身を、全て子育てに全振りする。
これはある意味「楽なこと」なんだと気づいた瞬間があった。昨日のことだ。
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春から緊急事態宣言が出され、転園したての保育園は3日通っただけで休みになった。
6月に日常が少しずつ戻ってきて、スタバに復帰し、保育園にも登園するようになった。が、結局手荒れが悪化して退職。アトピーと判明した(治療中)。
ライターの仕事も、先日取引先との契約を解消することとなり、定期収入が全てなくなってしまった。
スタバを退職したことも、取引先をひとつ失ったことも後悔はしていない。
でも、定期収入がないことは、人を不安定にさせる。一気に「わたしは価値がない」モードに入ってしまう。
昨日がそのピークで、1日中自己嫌悪と、罪悪感にまみれていた。これからどうしようか、どうやって稼いでいこうか…
また売り込みか…履歴書か…ああもう、何もかもいやだ。
そう思った瞬間、ああ、もう子育てだけに全精力を振り切っちゃおうか…
そんなささやきが聴こえた。
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子育ては大変だ。息子はもうすぐ4歳になるけど、連休あけには大人がヘトヘトになる。気力体力、半端なく消耗する。
子育てだけをするよりも、仕事も一緒にした方が精神衛生上よく、専業主婦の人たちは本当にすごいと思っている。
そう、自分が選んで専業主婦として子育てにじっくり取り組むことは、何ら問題がない。
私が今回感じたのは、
自分に向き合うのを避けるため、喪失感を埋めるため、やりたいことをやらない口実にするため、子育てに全てを捧げることの、怖さだ。
自分の気持ちやら本心やらに向き合うくらいなら、目の前の手のかかる子供のことだけを考える。
全てに蓋をして、「子供のためだから」とそこしか見ないようにする。
実際に手のかかる幼少期はいいだろう。息子は毎日「おかあさんだいすき!」と言ってくれるし、半端なく可愛い。
手をかけた分だけ、わかりやすく子どもからも愛情がかえってくる。
でもそんな時期は一瞬で終わる。
あと数年すれば、小学校に入りもっと複雑な人間関係に揉まれる。そして、親よりも友達を優先するようになる。当たり前のことだ。
そうして、少しずつ少しずつ子供の手が離れてきたとき、子育てに全てを捧げていたら…その手を離してあげられるだろうか?
この手を離してしまったら、長年無視していた「自分」とまだ向き合わないといけなくなる。
そして長年それをやめていたら、きっと、どうしたらいいかわからなくなっている。
巣立ちを迎える子供の手を、離せるだろうか?
自分の存在価値全てを委ねていた存在を、そう易々と手放せるだろうか?
それを想像したときに、ゾッとした。
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わたしは息子を産んだ時から、子育てだけをする生活が耐え難く、保育園に預けるまでが一番しんどかった。
そんな自分がおかしいのか?と延々悩む日々もあったけれど、それはそれで「息子とわたしは一心同体」という考えを生まなかったから、いい面もあったのだ。
子供は生まれた瞬間から別の人間。わたしとは違う人生、違う人格を持っている。
それを邪魔しないように、巣立ちを妨害することがないように、やっぱりわたしはこれからも、仕事を含めもがもがと試行錯誤するしかない。
自分の人生を生き続けることが、息子にもそれを見せることにつながるはずだ。
昨夜帰宅した夫に、「もう全てやめて、保育園も幼稚園にかえて、仕事なんかせずに子育てだけやった方がいいんだろうか…」と相談した。
彼は「もっと子育てに時間を割きたくてたまらん!と思うならそうしてもいいと思うけど、そうじゃないならやめておき」と言った。
夫は普段何も言わないのに、たまにこうしてグサッと真理をついてくる。私よりも私をわかっているのかもしれない。
昨日どん底まで落ちたので、今はちょっとスッキリしている。まだ新しい出会いを求めて、もがもがと試行錯誤しようと思う。
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