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短編『何も気にならなくなる薬』その170

誰も彼も同じように男と女から生まれているはずなのに、どうしてこうも差がついてしまうのだろうか。

それはブランドも同じだ。
卸は同じなのに店によって価格が違う。
目に見えない付加価値を加えて、その上澄みをすくう。
私は彼らを理解してあげるべきなのかもしれないが、それもまた難しい。
他人を完全に受け止めるためには、自分のすべてを否定する必要がある。
ブランドだかプライドだか分からないが、それが何の役に立つのだろう。
もっと私達は柔らかく物事を考えるべきではないだろうか。
しかし、誰かが気難しく考えないと人は発展しない。また成長ができない。
さて、どちらにまわるのが得だろうか?
本人次第でどちらにでもなれる。
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ゴーヤチャンプル

皮膚科

思う壺

「これはアレルギーかもしれません」
「なんのですか」
「今日は何を食べました?」
「えっと、朝はご飯に鮭、味噌汁、あと海苔を何枚か」
「お昼は」
「ゴーヤチャンプルを食べました」
「もしかしたらそれかもしれません」
「卵アレルギー?」
「いや、ゴーヤの方です」
「ゴーヤにアレルギーがあるんですか」
「いえ、ゴーヤそのものではなく、ゴーヤの形です」
「形?あのイボイボ?」
「はい、例えばこの画像を見てください。体が痒くなりませんか」
「あ、確かに首の後ろがすごく痒いです」
「あ、掻きむしっちゃだめです、ゴーヤの思うツボです」
「ゴーヤの」
「はい、ゴーヤが植物として生存するために苦く、そして異質な形をしていることはご存知ですか」
「言われてみれば確かにそうかも」
「あなたはゴーヤによって精神的なアレルギー反応を引き起こしています」
「ゴーヤによって」
「そうです、その結果、ゴーヤのような形状をしたものでも、見ただけで痒みがでる」「では、どうしたらいいのでしょうか」
「ゴーヤは柔らかいです」
「え?」
「触っても痛くありません」
「え?」
「気にすることはありません」
「あの、先生、どういうことですか?」
「あなたはゴーヤを克服できます。ゴーヤの写真を見てください」
「あれ、なんともない」
「ね、考え方次第で症状は治ります」
「でも、なんだかまた痒くなってきました」
「どうして」
「先生が怖い」

美味しいご飯を食べます。