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短編『何も気にならなくなる薬』その162

三月が始まった。
しかももう二日目だ。

世の中には五月病というのがあるが、それは別に五月に多いだけのことで、誰がいつ発症してもおかしくない。

どうしたら乗り越えられるのだろう。
自分のことで精一杯の人たちが誰かに手を差し伸べることは偽善だろうか?
「もしかしたら自分も引きずり落とされるかもしれない」
そんな考えもあるかもしれない。
けれども、もっと人に頼った方が良いし、なんならもっと簡単に逃げて良いのだと私は言いたい。
「でも」「だって」
これが多くなってきたら危険な状態のサインだ。
言葉の頭には常に自分を言い聞かせる文句がついてしまっている。
他人からするとそれは結構煩わしい。
すると悪循環になりかねない。
言わなくて良いことを言ってしまう。
これは物事の判断が冷静にできなくなっている状態だ。

個人的な対処方法は思ったことを紙に書く。
それが嫌なことなら捨てる。
大切なことならとっておく。
もしくはすこし難しい本を読んでみる。
考えを別のところに持っていく。
いわゆる頭の中での現実逃避。
その点で考えると紙の上が一番いい。
外部からの刺激がなく、自分の判断だけでその紙を埋めることができる。
紙とペンを持つことをおすすめする。
その世界の中であなたは自由になれる。
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「ウドの大木」

「白骨」

「うら若き乙女」
今回はこの三つ。

歴史的な土地で畑仕事をしていると白骨が出てくる。
「うわ、白骨が出てきた」
「こっちも出てきた」
「こっちもだ」
「もしかして同じ人か」
「ちょっと並べてみよう」
「うーん、ずいぶんと体が大きかったんだな」
「ウドの大木だったんだよきっと」
「でも、腰骨がキュッとしてるね」 
「いや、腕の骨が折れてるから剣豪かもしれない」
「うら若き乙女だったんじゃ」
「どうして」
「こんなに太ももが太い」
「バカ、それは大根だ」

美味しいご飯を食べます。