「ただいま」が届かなかった人たちへ(すずめの戸締り)

3年に一度のイベント。新海誠監督作品の公開。
以前の記事で、同じ日本を代表するアニメ監督である細田守監督の「竜とそばかすの姫」についてを”「君の名は。」ショック”という変な言葉で色々書いたけども、同じことがよもや巻き起こした張本人から出るとは思わなかった

予告編ならびに地上波での情報でも書かれているように、今回は明確に「地震」の描写がメインとなっており、
そんなのどう考えてもアレのリベンジとしか考えられないじゃないか!
と言わざる得ない。
そして実際に観て本当にそうだったわけで。



公開日の朝一に映画館へ行って、帰ってきてすぐにFilmarksに思いの丈を長々と書いたのだけども、
映画本編について語るより「君の名は。」と「天気の子」についてを書いた方がこの映画がわかりやすいと思った。
それぐらいこの映画の中で描かれているあらゆる物事が明確に過去2作品について新海誠監督自らが自己批評し、やりなおしをしているようにしか見えない

詳しいことは上のFilmarksのレビューを読んでもらうとして(ここに書くには長くなる)、
そもそも新海監督はこれまで男女の恋愛映画をメインにしており、そこについては今のいままでブレずにやってきているわけだが、
2016年の「君の名は。」以降は知名度の上昇もあいまって、世間一般から身勝手な批評を叩きつけられるようになった。

当時はこうやってTwitterで言いたいことをストレートに言っていたわけだが、身近な人に怒られたのか、以降はこういうことを言わなくなった。
自分はクリエイターではないので監督の心情というのは当然ながらわからない。ただ25年前の「新世紀エヴァンゲリオン」で、庵野秀明監督は自分の作品を観る人々を作品で強烈に攻撃した例がある

世間の知名度が上がれば上がるほど、不当な言葉を投げかけられるのは当然と言えば当然。
その不平不満を次回作にぶつけたのが「天気の子」。

もともと新海監督の中には「恋愛」が人間を動かす強力な力があると信じているように見える
そこには不条理すらも凌駕する力があると
「君の名は。」という作品は、もともと東日本大震災をイメージした災害のもとで男女の恋愛を描いた”不条理によって繋がった二人の物語”である。
そこを批判されることもしばしばあったが、監督からしてみれば「それもまた人間でしょ」と言うかのように、「天気の子」では不条理を主人公自ら巻き起こしながら己の恋心をぶつける。
その強力な(恋愛至上主義ではないが)恋愛によって動き出す物語というものに絶対的な信頼を持って作品作りをしているのが新海誠監督の特徴だと言える。

しかし同時に「天気の子」ではそんな恋愛によって動く人間達を子供とし、
未成熟な存在として描かれる。
言ってみれば製作者自らが未熟な存在だと

元々「天気の子」自体が前作「君の名は。」でのカウンター精神の印象が強く、「君の名は。」で描いた不条理を主人公が引き起こしてまで恋愛を成就しようとする(正しくは再会を願う気持ちだが)のは、どうしても震災あるいはあらゆる災害を肯定する形に見えてしまう。
相も変わらずそこを再度批判された「天気の子」だったわけだが、
恋愛を未熟なものとし、自らを子供としているかのように見える描写の変化は、明らかに我々観客の声に影響された結果だと言わざる得ない
(実際に怒らせたいと言ってしまっているし)


今回の「すずめの戸締り」は、良くも悪くも観客の声を取り入れた作品だと言える。
新海誠監督作品でよく見かける「女性の描き方」といった問題点についてほぼ全てにチャレンジし、実際に解決してると言っていい。
同時に「君の名は。」「天気の子」で描かれたそもそもの問題である11年前の東日本大震災に対する監督自身の向き合い方というものに、果たしてこれで良かったのかという自問によって作られた作品でもあると言える。

「君の名は。」では瀧が彗星の落下の知らせを住民に訴えかけようと奮闘するが、夢か現実か、もっと言えばそれはスクリーン内に映し出されるただのフィクションに過ぎない。
観客はあの時、「どうか助かってくれ」と願っただろう。でも現実(3.11)は助かっていない。
今回の「すずめの戸締り」は、あの時描いた震災イメージをして”フィクションの中でもせめて助かること(君の名は。)”ではなく、
”フィクションで悲劇は喰い止められるのか”
ということに立ち返り、
言わずもがなそれは叶わないこととして、その上で何を描くべきかという部分にまで踏み込んだ作品だと

それぐらい今回の作品に対して、新海監督が2016年当時には重要視していなかった震災に対する考え方を、6年後の2022年にリベンジとして真っ向から描いたものであったと言える
公式からのこのアナウンスは当然だろう。



あの日、あの時、
「行ってきます」と言って、「ただいま」を言えなかった人達へ。
せめてもの鎮魂の意味としての「すずめの戸締り」。

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