コロナ禍で感じた『1番幸せな生き方』って?ーー⑴
コロナ禍での転職事情は少しnoteでも書きましたが、2020年も終わりに近づきコロナの問題もなんとなく収束していってくれるんじゃないか?なんて都合のいい想像をしてしまいます。
それくらいに、2020年は自分にとってツライ一年でした。
半年間の転職活動、貯金も尽き、外出自粛要請、楽しめていたことが楽しめなくなってしまった、すれ違う赤の他人を疑ったり汚いと思うようにもなってしまった。
いろんな人のいろんな意見が飛び交って、批判や誹謗中傷や信用のない情報に振り回されて、SNSがツラクなった。
それでも今は、少ない収入だけれど仕事もできていて、健康に一年を終わらせることができそうだ。
転職活動をしている時からずっと考えていた。
「どれが1番いい選択なんだろう」と。
正社員?フリーター?1人暮らし?実家通い?結婚?独身?独立?
「1番いい選択」は人それぞれ基準が違っているもののはずなのに、世間の正解を選ぶべきだと強要されているようで苦しかった。
収入額が、昇進が、肩書きが全てじゃないはずなのに。
自分の幸せを大事にしていいはずなのに。
「良い仕事に就かなければいけない。」「安定した仕事の方がいい。」「ブランクが開くほど就職は不利になる。」「コロナ禍でも儲かる仕事。」「正社員なら企業が守ってっくれる。」
うるさいうるさい、うるさいよ。
誰がそんなこと決めた。
自分の幸せの基準をきちんと持っていれば、収入が少なくたって昇進ができなくたって、きっと心が健康でいられるはずなんだ。
そうやって何度も自分に言い聞かせてました。
子供の頃は、『インターネットには本当か嘘かわからない情報が溢れているから自分で見極めなければならない』とかいう、割と無理難題を学校の先生に教えられていました気がします。
便利に使いこなせるようになると、どの情報も見てもらえるような文言や広告を使っていて、さらに個人が書いた情報も増えていて、聞きたくもない世間の声が勝手に流れ込んでくる感覚で、インターネットという広い世界にアクセスしているはずなのに個人の独り言のような意見を聞いてしまった悲しさとも言えないツラさが増えました。
人の意見は人の意見。よそはよそ。うちはうち。
それでいいはずなのに、たまたま見てしまった個人の意見が世間の全ての意見なんじゃないかと錯覚してしまう。
コロナ禍では感染症の不安に増して、この錯覚が本当に恐ろしかったです。
だから。
どうか自分の幸せは自分で守ってあげて。
自分の楽しみは、自分の休日は、自分の家族は、自分の人生は自分だけのもの。
今の自分は、幸せだと思います。
家族と一緒に夕飯を食べて、家事を分担して、たまに外食をして。
そんな生活が自分にとって幸せです。
いつ感染症で会えなくなるのかわからない、感染症で会社が自分を守ってくれるかなんてわからない。
今ある幸せを、大事にしたいと思います。
こんな独り言のような記事ですが、誰かの目に止まってくれると嬉しいです。
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