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何を得て、何を捨てるか

人は日々の生活の中で大から小まで様々な選択肢から何かを選択している。「選択」と言うことは、選択肢どうしはトレードオフの関係にある。つまり、1時間アニメを見れば勉強する1時間はなくなり、5千円で美味しい物を食べれば5千円のゲームは買えなくなり、Aさんと付き合えばBさんとは…等など。

この時に肝要になるのが、「自分に関わる事物への評価能力」と「行動に移す能力」である。後者はとりあえず置いといて、前者は要するに、物とか人とか行為とかを過大評価したり過小評価したりすると誤った選択をすることになるよって話。

自分にまつわる事物への客観評価ってのは簡単ではないけど、落ち着けば大雑把には誰でもできる。この「ツイッターヤンキー論」なんかは、感情を抑制すれば「被害の過大評価」をしている自分を客観的に見ることができるよという話。

「ADHDは定型の人が普通にやっていることでも物凄くコストがかかる」という話はよく聞くが、それはミクロ的な脳の機能の話であって、メンタル系の障害をこじらせると、どう考えても「1を得るために10を失う」という愚かな選択肢を選んでしまうことがある。

「そういうところまで含めての障害」と言われるとそれまでだが、先述の「ツイッターヤンキー論」なんかは実際実践して助けられているという声も結構ある。これは「できる・できない」よりも「する・しない」という要素の方が強いだろう。

所謂EQの高い人は物事の価値をナチュラルに評価できて、生活(人生)におけるストレスが少なくなる。100の価値を300でもなく10でもなく100と評価できるかどうかは非常に大事だ。

ただし、人から何かありがたいことをしてもらった場合にのみ、【作法として】3割増しで評価しておくといろいろ上手くいきやすくなると思う。



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