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出張版・物語は人生を救うのか

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2019年5月刊『物語は人生を救うのか』(ちくまプリマー新書)の内容の一部をお見せします。
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『人はなぜ物語を求めるのか』の続篇が出ます。

 ちくまプリマー新書から『人はなぜ物語を求めるのか』の続編が出ます。

 タイトルは『物語は人生を救うのか』です。リンク先で予約受付中です。よろしくお願いいたします。

 前著『人はなぜ物語を求めるのか』も、今度の『物語は人生を救うのか』も、自己啓発本として書きました。自己啓発本と呼ぶにはかなり歯切れの悪いものいいをしている本ですが。

 前著は、僕の本としては例外的に売れたほうの本です。「よく売

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「虚構と現実」は贋のカップル

  新著『物語は人生を救うのか』は全6章、その第2章では虚構(フィクション)の問題をあつかっています。

 「虚実」という言葉があるくらいですから、人はつい「虚構(フィクション)」と「現実」を対で考えてしまう傾向があります。

 でも、虚構と現実はじつは対概念ではありません。

 さて、話は変わる(ように見えて変わらない)のですが、昨秋(2018年秋)、Twitterでこういうツイートがありました

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フィクションは社会的な約束ごとのうえに成立している

 僕たち人間は、フィクションとノンフィクションにたいして期待していることが違います。そして前回書いたように、このことからわかる最初の重要な事実、それは
(1)虚構の対義語は現実ではなく非虚構表象(ノンフィクション。つまり実話とか、日常の報告とか)である。
ということでした。

 そして、ふたつめの重要な事実、それは、
(2) 虚構物語(フィクション)と非虚構物語(ノンフィクション)の最大の違いは、

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嘘と間違いとフィクションの違い

 何度も繰り返していますが、僕たち人間は、慣習的にフィクションとノンフィクションにたいして抱く期待が違います。そのことからわかるふたつの重要な事実を、前々回・前回と述べてきました。

 そしてきょうは3番めの重要な事実について書きます。それは、
(3) 虚構表象(フィクション)と非虚構表象(ノンフィクション)との違いは、現実と照合して決めることはできない。
 ということです。

 間違いは、発信者

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嘘をフィクションと呼んでしまう人

 1980年代末以降、ゲームやアニメーションなどのいわゆる「オタク文化」を愛する人たちが、
「彼らは虚構と現実の区別がつかないのではないか」
と危惧され、批判されることが何度もありました。

 当初は暴力描写・破壊描写が問題にされ、21世紀にはいってからは、とりわけ男性向けコンテンツにおける女性登場人物の表象が問題にされています。
 具体的に言うと、男性向けコンテンツに登場する女性登場人物の表象が

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フィクション? ノンフィクション?

 マルグリット・デュラスや堀江敏幸といった作家の作品のなかには、身辺を回想したノンフィクションなのか小説なのか容易に判別しがたい散文があります。後述するように「私小説」「記録小説」という分野もあります。

 またそもそも、抒情詩という分野は、あきらかに作り話として発話しているものもあれば、実話として発話されているものもあり、さらにはそのどちらなのか判明しないものもあります。そもそもそれが「どちらな

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発信者の意図は確証できなくて当たり前

 「嘘と間違いとフィクションの違い」の回で、虚構言説と非虚構言説の違いが、本文の内容ではなく発信者の意図にある、と書きました。
 このうちフィクションは、その意図が本文外で明示されています。「小説」として発表されているとか、「このドラマはフィクションであり、実在の人物・団体との類似云々は……」という但書がついていたり。ですから、これはわかりやすい。

 いっぽう、「正確なノンフィクション」「嘘(人

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『ポルトガル文』は小説か?

 1669年、パリで『仏訳 ポルトガル文〔ぶみ〕』という冊子が公刊されました。ポルトガルの修道女マリアナ・アルコフォラードが書いた書簡五通から成る書簡集です。
 日本では佐藤春夫訳『ぽるとがるぶみ』(人文書院)と、リルケのドイツ語訳からの重訳『ポルトガル文』(水野忠敏訳、角川文庫)が有名です。

 刊行の数年前、ポルトガルに駐在したフランス軍士官と恋仲になったあと捨てられた彼女が、帰国してポルトガ

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フィクションとは近代的な約定である

 現在、僕たちはフィクションをフィクションとして受容しています。少なくとも、身体の文化的な部分では、そのように自覚しています。
 しかしそもそも、作り話がみずから作り話であることを謳って流通するというフィクションの伝達状況が、人類初期からずっとあったとは思えません。

 神話とか伝説とかいったものは、いかにファンタジー小説に似ていても、当初は特殊で象徴的な「実話」の一種として流通していたと思われま

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フィクションの背後に事実を求める癖

 前回書いたように、「ほんとう」(正確なノンフィクション)と「嘘・間違い」(不正確なノンフィクション)との区別が人類25万年の生物的欲求に根ざしているのにたいして、ノンフィクション(正確であれ不正確であれ)とフィクションとの区別は、長く見積もっても二千数百年のあいだ、人間が特定の社会のもとで断続的にやってきた文化的な慣習、約束ごとにすぎません。

 ですから僕たちは、身体の文化的な部分ではフィクシ

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