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チノアソビ大全

Podcast「チノアソビ」では語れなかったことをつらつらと。リベラル・アーツを中心に置くことを意識しつつも、政治・経済・その他時事ニュースも交えながら林田(専門:総務省地域力創…
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#今昔物語

奇説 今昔物語集 vol.009 -高陽親王のイノベーション-篇

1.職人、高陽親王 今は昔、高陽親王(かやのみこ)という人がいた。桓武天皇の第七皇子で、歴史的には賀陽親王(かやしんのう)と称される。この人は天皇の皇子でありながら、実に優秀な職人であったという。  高陽親王の邸宅は「高陽院(かやのいん)、賀陽院(かやのいん)」とも呼ばれ、藤原 頼通がたいへんに気に入って、後に邸宅を接収すると、その敷地を倍に広げて四方を池に囲まれた寝殿造の建物に増築した。  頼通は、この高陽院をほぼ官邸として長期政権を築き上げたが、宇治の平等院に引退した

パラダイムシフト 平安 篇

 今昔物語集 vol.004 藤原氏列伝(下)において、藤原 時平について記していた。  浄瑠璃や歌舞伎の世界でベストセラー、かつ今の世にまで受け継がれロングランとなっている『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』の影響で、藤原 時平というと悪の権化のように思われがちだが、延喜の治を支えた殊勲者として名宰相であったことに疑いはないことは述べた通りだ。  ひるがえって見ると、菅原 道真は家庭を省みることもなければ、遊びも知らないという、とにかく勉強しかしないとい

奇説 今昔物語集 vol.008 -天人伝説-篇

 前稿の「陸奥前司 橘 則光、人を切り殺す語、第十五」まで今昔物語集「巻二十三」の本朝世俗編の記事をモチーフに記してきたのだが、この後、怪力無双の超人の逸話が続く。美濃の狐という百人力の女盗賊が、これまた強力な尾張の女に退治される話。比叡山の実因僧都や、広沢の寛朝僧正といった怪力の坊主が盗人を撃退する話。相撲人(すまいびと)が身体に巻きついてきた大蛇と格闘して、大蛇を引きちぎってしまう話などである。だが、読んでいてそれなりに面白いのだが、書いていくといまいち面白くないので、こ

奇説 今昔物語集 vol.007 -橘家の剛勇-篇

 随分と間が開いてしまいましたが、今回は「奇説 今昔物語集」の続編。今回の主人公は、清少納言の夫としても知られる橘 則光。学問の家である橘氏に突如現れた豪傑と、その荒々しい物語をご堪能ください。 1.橘氏の起こり 今は昔、陸奥前司 橘 則光 という人がいた。  橘氏は飛鳥時代に葛城王(かつらぎおう)が臣籍降下して橘 諸兄(もろえ)となったのを祖としている。厳密にいうと、この橘 諸兄の母である県犬養 三千代(あがたのいぬかいのみちよ)が敏達天皇の流れを組む美努王に嫁ぎ、諸兄

奇説 今昔物語集 vol.006 -明尊僧正、三井寺へ行く-篇

 「天下之一物」として、源 頼光とともに並び称された平家の武士、平 維衡(これひら)と平 致頼(むねより)。坂東平氏として、関東に領地を持っていた二人は、伊勢の所領を巡って抗争を繰り広げます。最終的には維衡派が勝利し、清盛まで連なる伊勢平氏が始まるわけですが、今回の主人公は敗れた側の致頼の子、平 致経(むねつね)です。 1.藤原頼通と明尊 今は昔、宇治殿の権力が全盛を誇っていた時のこと、三井寺の明尊(みょうそん)僧正が祈祷のための夜居僧として勤めていた。  宇治殿とは藤原

奇説 今昔物語集 vol.005 -平安の法治-篇

 今は昔、一条天皇が即位されていた時代に、平 維衡(たいらの これひら)という武士がいた。官位は下野守であった。維平は平 貞盛の四男で、平 貞盛といえば、父の国香を親族(国香から見れば甥)の平 将門に討たれ、伯父である藤原 秀郷の軍勢を借りて将門の乱を鎮めた。藤原秀郷は、将門追悼の功績によって下野国、武蔵国の二カ国の太守となり、鎮守府将軍にも任じられ源氏、平氏と並んで武家の棟梁と目されるようになった。  未だ武士の時代、とは言えないが、歴史上に聞こえるその足音は、着実に大き

奇説 今昔物語集 vol.004 -藤原氏列伝(下)-篇

 人形浄瑠璃や歌舞伎の演目としても有名な『菅原伝授手習鑑』では、極悪人として描かれる時平(しへい)のモデルとなるのが今回の主人公、藤原 時平である。実の叔父のワイフを寝取ってしまう、という壮絶な艶物語は、後世、谷崎 潤一郎の小説『少将滋幹の母』のモチーフにもなった。 1.本院の左大臣 時平 今は昔、本院の左大臣と呼ばれた藤原 時平という人がいた。時平は、昭宣公と呼ばれた日本史上初の関白、藤原 基経の子である。時平の邸宅は左京一条、現在の堀川通の東側に位置し、「本院」と呼ばれ

奇説 今昔物語集 vol.003 -藤原氏列伝(中)-篇

 今回は藤原氏列伝の中篇、悪馬を乗りこなした藤原 内麿の系譜から始まる。原本である『今昔物語集 本朝世俗部』でいうと「閑院の冬嗣の右大臣ならびに息子の語、第五」からになるが、この辺りから藤原氏が権力を掌握するまでの荒々しい雰囲気は消え、平安貴族としての繁栄の様子、その風雅さ、恋のあり様などが色濃く前面に押し出されてくる。 1.人生の明暗は死後まで分からず 今は昔、閑院の右大臣と呼ばれた藤原 冬嗣(ふゆつぐ)には、多くの子供たちがいた。ちなみに冬嗣は最後は左大臣を務め上げ、死

奇説 今昔物語集 vol.001 -大化の改新-篇

 この物語は平安時代末期に成立したらしい、ということ以外は、作者もタイトルも明らかになっていない説話集である。『今昔物語集』と呼ばれているのも、その殆どの書き出しが「今は昔」から始まるからという理由で便宜的に名付けられた通称である。  執筆者不明の書物、と侮るなかれ、その内容は貴族、武士、庶民、そして僧侶と身分・階級の別に依らず、現実にたゆたう苦悩に煩悶する人々が、いかに智慧を振り絞って生きてきたかの記録でもある。 1.皇極天皇と蘇我一族 『今昔物語集』の「本朝世俗部」は、