鎮丸~野獣跳梁~ ①
葉猫が珍しく体調を崩した。鎮丸は、初め、ただの風邪だと思い、風邪薬を買って来た。
しかし一向に症状は良くならない。
「社長、しっかりしろよ。当面わしと晴屋で頑張るからな…。」小学生の桃寿を送り出して言った。
鎮丸は一人で事務所に出社した。電話が鳴る。予約だ。年配の女性の声だった。
本日の午後から診てほしいと言う。
今時、公衆電話を使っているのだろうか。声が籠もって聞き取りにくい。
「初診のお客様ですね。分かりました。」
鎮丸は先方の携帯電話番号を聞こうとしたが、電話は切れた。
どこかで聞いたような声だったが、思い出せない。
午後になった。鎮丸は事務所から歩いて数分のサロンへと急いだ。
何か胸騒ぎがする。
歩きながら霊査をする。
鎮丸は青醒めた。
「じ…冗談じゃない!そんなことがあるはずが…!」
鎮丸の脳裡に浮かんだのは、いつか見た妖狐の邪眼だった。
ポケットの中で音叉を握る手が汗ばむ。
「はっ…!」鎮丸はその時のことを思い返して気付いた。禿と采女は運命を共にし、無間地獄へと落ちた。では、御前(ごぜん)は?
あの一件以降、行方が分からない。
御前は依り代を探していた筈だ。やっとそれが見つかり、この世に復活したのだろうか?
鎮丸は身構えた。しかし行くしかない。いざとなれば、不動明王の術を使うつもりだ。
サロンに晴屋はいなかった。外出だろうか。まだぬくもりが残っているかのような布団が施術ベッドに掛けてある。
鎮丸は布団を畳み、施術ベッドに半跏趺坐の状態で腰掛けて精神を集中しながら待つ。
「これは?」霊査中に違和感を感じる。
邪眼には違いないが、邪気を感じないのだ。
むしろ、縋りつくような、何か頼み事があるような気を感じる。
しばらくしてサロンのドアが開いた。
「今日は。」一礼をして、ふくよかな婦人が入って来る。邪気はない。
婦人は上品な佇まいだった。どこか大陸的な顔立ちだ。チャイナドレスを着ている。
「その節は息子と嫁がご迷惑をおかけしまして。」
「あの時の方ですか。」鎮丸が聞く。
「はい。金縛りなどかけてすいませんでした。あなたのお力は十分わかりました。」
鎮丸は「どうしたのですか。息子さんとお嫁さんを地獄から救えとの話ですか?」と聞いた。
「いえ、あの二人はあれでいいのです。懺悔が済んだら、お不動様のお慈悲があるでしょう。」婦人は複雑な表情で答える。
鎮丸はまだ警戒を解いてはいなかった。
左手は刀印を結んでいる。
「今回はお願いがあって参りました。どうぞ、その刀印を解いて下さい。」と婦人は言う。
鎮丸は「その前にお聞きしたいことがあります。そのご婦人の姿は、依り代が見つかったのですか?」と言い、誰かまた犠牲者が出ていないか心配した。
婦人が言う。「いえ。依り代は見つかっていません。この体は一時的にお借りしているもの。私達の依り坐しになるには、それなりの霊力が必要なのです。普通の人間では務まりません。」
「依り坐し(よりまし)?神だと言うのですか?」鎮丸は怪訝な表情をして聞いた。
「私達は蓉子さんのお祖母さまの呪縛から解かれて、岡山の神社に神として鎮まっていたのです。しかし、そこへ息子の分け御霊が現れて、私達を拝みました。」
「そんな偶然が…」鎮丸は驚いた。
「息子は多いに喜び、この男と一体になれば、人道に入れると考えました。人の身に憧れがあったようです。私達はこれでも神です。本来、人間に災いをなす存在ではありません。」婦人は静かに語る。
「では何故、息子さんは人間として非道に走り、蓉子さんを支配しようとしたのですか?!」鎮丸は語気を荒げて質問した。
「お聞き頂けますか。私達の業を。」
婦人は静かに語り始めた。
(to be continued)