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稲生物怪録

「いのうもののけろく」と読みます。この物語をご存知でしょうか。

江戸時代中期、現在の広島県三次を舞台と
した不思議な噺です。主人公、稲生平太郎
(後の稲生武太夫)と彼を脅かしにやって
きた物怪たちとのやり取りがユーモラスに
描かれています。

この物語には多くの物怪が現れるだけでは
なく、現存する場所や、平太郎をはじめ当時の三次に実在した人物が登場してきます。

作品が誕生してから絵本や絵巻など、色々な形態で日本各地に伝えられてきました。

伝わって行く内に、物語の内容が微妙に変化していますが、いつ、誰が作成したものか、発表された時のタイトルが何だったかなど、
謎の多い作品でもあります。

そのあらすじです。
旧三次藩の町内で暮らす16歳の少年、稲生
平太郎は、寛延2年5月、隣家に住む相撲取りの権八と肝試しを競うこととなりました。二人は三次市にある比熊山に登り、祟りがあるとされる場所に行ってしまいます。

寛延2年7月1日、深夜に大きな音がして
物怪が現れ、それから一か月間、毎日
平太郎は様々な物怪によって色々な脅かしを受けますが、肝の太い平太郎は最後までその脅かしに耐え、最後には物怪の王が平太郎の胆力に感嘆し退散するというものです。

この物語の面白い所は物怪の人間臭い一面と
それとは対象的な平太郎の超然とした態度が
うまくコントラストを成していて、ユーモラスでありながら、物怪と、生きている人間、本当に怖いのはどちらなのか考えさせられる所にあります。

伝承されていくにつれ、物語のディテールが
変わり、舞台や発生した日時、主人公の年齢などが曖昧になっていきますが、ストーリー自体にも様々なバリエーションが出来上がっていきます。

物怪の王が去っていく際に、槌を平太郎に授けますが、これはライバルの物怪の王、神野悪五郎(しんのあくごろう)が来た時に使えば退散するというものでした。物怪の王
(魔王)と神野はどちらが多くの人を驚かせられるか競っていたというのです。こうした色々な「落ち」が加わっていきます。

この物怪の王(魔王)ですが、山ン本五郎左衛門(さんもとごろうざえもん)と言い、裃を着た武士の姿をしています。物怪は妖怪、つくも神の類いですが、魔王は人間の姿をしており、理性的な物言いです。子細を語った後、大勢のもののけの眷属を率いて去っていったといいます。

あらすじを非常に端的に書いてしまいましたが、この物語はその内容の突飛さから後世の多くの人達から研究対象とされてきました。

まず江戸後期に平田篤胤により広く流布され、泉鏡花、稲垣足穂ら錚々たる面々が題材として取り上げており、折口信夫、谷川健一らも作品化しています。

現代に至り、荒俣宏や京極夏彦、漫画では
水木しげるも描いています。「地獄先生ぬ~べ~」にも登場しています。「朝霧の巫女」という作品もあるそうですが、寡聞にして、この漫画は私は知りません。(アニメ化もされているようです)諸星大二郎の作品でも
パロディ化されています。

前述のように実在した人物が主人公です。
稲生平太郎の子孫は現在も広島市に在住しており、平太郎の墓も市内に存在しています。

また、稲生神社には、諸々の祭神に加えて、稲生平太郎が神として祀られています。

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