風変わりな子・8~何もかも中途半端な今~

どうも~千夏です。
春休みも終わったので近況報告もかねて新たに記事を書きますね。
吃音のこと(ここでは説明は簡単にしか書かないが言葉がうまくいえない、どもる言語障害のこと)、好みが周りと違うこと、特性はあるけれどあなたの悩みなんて大したことないの一言で心が折れメンタルクリニックに通うのをやめてしまったこと…
色々あったからなのか自分の感覚として変わったことが一つある。
それは肩書きが要らないのではなく、
肩書きにできる何かが自分にはないということ。
それに気付いたのは吃音について辛いなと思ったときにフォローした「吃音垢」を見ていたときのことだ。
同じ吃音持ちのはずが不思議なくらい共感できないのだ。
自分は吃音もちだけれど自己紹介が大好きで、家族に吃音のことは8割くらい理解されていて、とてもおしゃべりだ。
だからうまく話せないもどかしさはあっても話せない辛さは共感できない。
自分にも話せない辛さはあるがそれは吃音とは別の理由(だと思われるもの。うまく言語化できないが。)なのでうんうんと思うことはほとんどなかった。
そこで気付いた。
自分にとって本当の辛さは吃音ではないのだと。
吃音持ちなのに、しゃべるのが大好き。
吃音持ちなのに、音読が大好き。
だけど、うまく話せない。
しかも喋りすぎてしまうことすらあった。
だからうまく話せないときやどもるとき理解されにくい。
理解されているか気になりすぎて毎度すごく怖くなる。
理解を期待していないはずが、分かってくれよと思ってしまうこともある。
同情はけしてされたくないし、そのような表情も、見たくはない。
吃音持ちだから悩みが同じではないというのは当然だ。
だけど、当事者のことも分からず知らない人とも歩み寄れるのか?と一度思ってしまうとこの葛藤がますます怖くなる。
確かなのは軽度なんだから悩みだって大したことないという言葉が辛いということ。
軽度なので、本当に吃音のせいでコミュニケーションがほとんど取れない人のことがあまりわからない。

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