どこまで行けば出口にたどり着けるのか

どうも~千夏です。今回は、ちょっとした会話から思ったことを書きます。

ある友達と話していると千夏ちゃん頑張りすぎてない?
と言われました。
副専攻科目を取っているからでした。

別の友達と話しているとまだバイトしてないの?
と言われました。
またまた別の友達と話していると
時間調整すればバイトできるじゃんと
言われました。

同じ話を同じようにしていてもこんなにも言われることは違うんだと知り驚きましたし、(ひとりになったとき)笑ってもしまいそうにもなりました。(バカにしているわけではないのです。こんなにも個人差があることがあまりに新鮮だっただけです)
自分がバイトをしていないのはタイミングを逃してしまったことにあり決してバイトを悪だと思っているだとか、働くのが嫌というわけではないのですが、いずれにしろやっていないのですから努力不足だと言われても致し方ありません。

副専攻科目とサークルの両立が精神的にしんどくなってサークルをやめました。
ただそのサークルの前の部長さんは
バイトと資格取得とサークルとインターンを両立させていたので、そういう理由を聞いたら言い訳がましく聞こえるかもしれません。


色んな選択肢があって、色んなことができるからこそやっていないと不思議がられ両立できないの?と突きつけてくる。
何をやっていても足りない感じがして、だんだん自分が怠惰であるように感じてしまう。


これ、他の人との会話でも感じることです。
吃音持ちでもバイトしている人はいるのに自分はできていない。

精神疾患があっても仕事をできている人がいるからこそできていない人への風当たりは強くなる。

仕事と家事の両立させ、子供が3人以上いても働いている人がいるからこそ専業主婦は甘えだみたいなことがネットに書かれる。


生活を充実させるためにしていることができないと良くないみたいな風潮になっていく。
努力することだって人生を豊かにするため、選択肢を増やすためのはずがいつの間にか努力するために生きているみたいになっていく。

いつの間にか、ただこういう活動をしているよという友達との会話が少しマウント取りみたいになってしまってなんだか会話自体が言っていいのか?ということだらけになってしまった。

大学生らしさってなんだろう。自分らしさってなんだろう。したいことってなんだろう。
そんな疑問が大学入学から一年経ってもまだあり、模索が続いていて苦しい。
どんなに活動を広げても満足するのは難しいし、まだ何もできていないのでは?もっと高みを目指さなければと思ってしまう。
(高みを目指すといってもこれは意識が高いのとは少し違います。
何をしても満足できなくて常に不安なのです。)

モヤモヤをちょっと投げてみてスッキリしました。
本当に苦しいのは何のためにやっているかわからなくなることなんだなぁと気付きました。
それではまた~