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5歳が、3歳をお風呂に入れた日。

3歳の次男は、お風呂が大嫌い。
いや、正確には、ママと入るお風呂が大嫌い

夫が家にいる時は極力、次男のヨウをお風呂に入れるのは、夫の役目。私が入れようとするものなら、

「シャワーしたくないーーー」
「かみ、あらわないでーーーー」
「ままやだーーぱぱにあいたいーーーー」

この世の終わりかと思うほどに、発狂。そして目からは、それこそシャワーのように、涙がとめどなく流れます。

「だいじょうぶだよ、すぐ終わるから!」

私はヨウと、そして自分自身に言い聞かせるように、言葉をかけます。しかしそんな気休めの言葉は、ヨウの耳には入りません。ずっと大声で泣きわめくばかり。

熱気のこもった浴室内、ヨウをお風呂に入れるだけで、私は汗だくに。

本当は私だって泣かせたくない。でも洗わないわけにはいかない。まるでいじめているようで、私のほうが泣きたくなることもありました。いつもそれを間近で見ている5歳の長男モリは、

「ヨウちゃん、もうすぐだよ」
「からだあらってるだけだから、だいじょうぶだよ」

やさしく言葉をかけてくれます。
ある日は「顔にタオルをかぶせてあげればいいんじゃない?」という画期的な提案もしてくれました。どうやらおばあちゃんの家でその様子をみて、ならってきたんだとか。

その手があったか!とタオルで顔をおおってみたりもしましたが、タオルに水が沁みてしまうのが嫌だったようで、やっぱり泣くばかり。

(まあそのうち、慣れてくれるかなぁ・・)

ちょっと寂しい気持ちもあるけれど、きっといつか大丈夫になる日がくるはず。そうして、なんとか日々は過ぎていきました。


ある暑い日のこと。

保育園が休園になってしまい、私はモリとヨウを連れて、公園に水遊びをさせに出かけました。

噴水の水しぶきはへっちゃらのヨウ

ふたりは公園の噴水を浴びたり、バシャバシャと水の上を駆け回ったり、おおはしゃぎ!

水で遊んだあとは、濡れた裸足で公園を駆けめぐり、足も手も泥だらけに。公園の水も決して綺麗とは言えないし、感染症の心配だってあります。このまま家に帰って、汚いまま部屋でゴロゴロされるのは、避けたいところです。

「帰ったらお風呂入らなきゃね〜」

私はこのあとのいやな展開を予想しながらも、帰り道の自転車でそう予告しました。案の定、今まで楽しそうだったヨウから、不安そうな声が漏れてきます。

「おふろはいりたくない・・しゃわーきらい」
「ままとおふろやだーーー・・」

帰り道の自転車で、ずっと駄々をこねるヨウ。
平日の昼間だから、夫は不在です。私は自転車を走らせながら、どんなに泣き叫んだとしても、素早くヨウを洗ってみせる覚悟を固めました。


そうして、帰宅後。
「おふろはいりたくない」を、この15分で30回は唱えたヨウを、まず脱衣所に連れていくことに成功しました。

「さあ、はやくお風呂はいって、きれいになって、おやつ食べようね〜」

ふだんだったら即効性のあるキラーアイテム「おやつ」も、この時ばかりは効力ゼロ。不安な声は泣き声に変わり、ついに号泣状態に。

わあああぁあぁぁおふろやだーーーー
ぱぱにあいたいーーー
かみあらわないでーーーーーー


私はこの申し出に対し、冷静をよそおって、こんな交渉カードを出します。

「わかった。じゃあ髪は洗わない。でも足が泥だらけだからさ、このままだとおうちが汚くなっちゃうし。体だけ洗って、キレイにしちゃおう?」

やだああああぁああぁああああ
はいりたくない、もうでたいーーーー


ぜったいに服を脱がせまいと、手足をばたばたさせるヨウ。3歳なのに、その力は強くてすばしっこいので、今にもするりと逃げられそうになります。

私はなんとかそれを制し、汗ばんだ体にペタッとくっついたTシャツと短パンを、うまい角度を見つけながら、なんとか脱がせました。ふう。

そして最終関門は、オムツ。あとはオムツのサイドをちぎって脱がせ、お風呂に入れるだけ。
そう思ったとき——

「ぼくがヨウちゃん、おふろにいれてあげるよ」

その様子を見ていた、5歳の長男モリから、意外なひとことが出ました。

今までうるさかったのが一瞬「しん」となって、熱気のこもった脱衣所に、風が通ったような気がしました。

「さあヨウちゃん、こっちへおいで。かみはあらわないからね、だいじょうぶだからね」

一瞬「本当に大丈夫?入れられるの?」と思いましたが、私が口をはさむ間もなく、モリはヨウを優しくエスコートして、お風呂場にうながします。

そうしてお風呂場のドアをしめて、ヨウの体や、足、手、さらには顔まで洗ってくれたのです。モリはつい最近まで、自分の体も洗えなかったのに。
ヨウはもう泣くことはありません。

「ママ、ちょっとだけ見てもいい?」

どんな感じで弟を洗ってあげているのか、ちゃんと洗えてるのか、つい見たくなって、私はドアを開けようとします。

「だーめ、ママはまってて」とモリ。
その代わり、モリが小さなヨウにシャワーをかけてあげているかわいいシルエットと、静かなシャワーの音が、浴室のすりガラスのドア越しに届きました。

「はい、ヨウちゃんあらえたよ〜〜」

浴室から、ほかほかの湯気をまとったヨウが、脱衣所に送りこまれてきました。私はすぐにタオルでヨウをおおいます。するとヨウのほかほかの体から、石鹸のいい香りがただよってきました。

もう、ヨウの顔には、一滴の涙も残っていません。

「よかったね、お兄ちゃんがあらってくれて、ぴかぴかになったね」

ヨウはすっきりしたような満足げな様子で、すっかり私に身をまかせ、すんなり着替えをさせてくれました。

「ぼく、ぜんぶあらってあげたよ。ヨウちゃん、なかなかったよ」

モリは”ぼくがいいことをした”という自信に包まれています。私は、このまさかの展開が信じられない気持ちでいっぱい。

「よかった、モリくんがいて、よかった。
ママ、本当にたすかった。ありがとう。」

気づいたらそんな風に、モリに言っていました。私はちょっと、泣きそうになりました。

いつか育児本で「子供には”●●がいてよかった”と言うといい」と書いてあるのを読みました。それからしばらく「●●がいてよかった」と声に出したこともあったのですが、最近はすっかり忘れていました。もちろん毎日、モリやヨウがいてよかったと思っているのですが。

でもこの時は、心の底から「モリがいてよかった」「モリに助けてもらった」と思い、それが口から出ていたんです。モリはそれを聞いて、自信たっぷりで、心から嬉しそう。

じつは最近、モリのことで悩むことがありました。

「ほいくえんにいきたくない」と言い出して、朝からシクシク泣いたり。
ピアノの習いごとでは「このきょくはひきたくない、かえりたい」と先生を困らせるほど駄々をこね、断固として新しい曲を弾きたがらなかったり。

「お友達は元気に保育園に行っているのに」とか「なんで新しいことに挑戦しようとしないの?」と、周りの子や、もうすでに大人になった自分と比べ、落ちこんでしまうことがありました。

でも今回、お風呂に入れてくれたモリの様子をみて、モリはモリのいいところが十分にあることを、私はしっかり理解しました。モリの弟に対する優しさ、私に対する思いやりは、誰かと比べる必要もないほど、尊いものでした。

誰が教えたわけでもないのに、状況から必要なことを判断して、自分で実行して動くことができる。素晴らしいことです。

それに気づけたことは親である私の自信になりました。私はつい、子どものことを「目に見えやすい能力」というものさしで計ろうとしていたことにも気がつきました。

そして「誰かの役に立つよろこび」は私の仕事のいちばんのモチベーションですが、子供にとっても役に立てた瞬間がよろこびになるのだと、私は実感しました。何かをやってもらって、「ありがとう」と言い合える関係を、つくっていけたらいいなぁと思ったのです。

保育園が休園になって、在宅勤務と育児の並行はとっても大変。そう思っていたけれど、思いがけなく子どもと十分に向き合う時間ができ、子どもの良いところを見つけられる機会になりました。


モリはヨウをお風呂に入れたあと「ぼくはママと入りたい!」と可愛いことを言ってくれました。やっぱりまだまだ子供で、少しだけほっとします。

宝物のようなこの日のことを記憶に残しておきたくて、きょうはnoteを書いてみました。読んでくださった方、楽しい夏休みをすごせますように。

小森谷 友美
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