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名もなきモヤモヤを書く自分だけのお絵描き帳

Xって凄い。本当にすごい。
だって同じ境遇の人に会ってなくても、単語を打ち込むだけで会えちゃうんだから。会えちゃうっていうか、繋がれちゃうっていうか。一人じゃないって思えたり、話す相手がいなくても瞬間的な気持ちをパって自分の外に出せちゃう。

noteは私にとってなんだろうって考えてみたけど、今のところ、頭に浮かんだままをなにも気にしないで文字にできるお絵描き帳みたいに感じています。保育園の時の輪っかのリングがついてるおっきい画用紙。

言う程じゃないけど誰かに聞いてほしいこと

こんなこと人に言うレベルじゃないよなーって思うこと、
言ったらどう思われるだろうかとか、
めんどくさい考えが邪魔して結局いつも一人で悩んで、押し込めて、隠して、なにもなかったかのように、顔を整えて、新しい日を生きる。

日常を生きているうちに気づいたら忘れてることもあるけど、何かの拍子に、今まで押し込めてた辛いことがばぁーって湧き出てきて、抱えきれなくなるときとかないですか?
私は定期的にやってきます。小さい頃から。
思いっきり思いっきり落ち込んで、下まで落ち込むと、
「あーそうだった、これが私だよなー」なんて思ったりして。
そういう時私は限界まで自分を下げて思いっきり泣いて、
しばらくするとこんな時でもお腹はすくのでエネルギー高めの物を食べて。ボぉーっとして、しょうがないかって思って、ちょっと解放されて。
こんな落ち込むのに、楽しいことやってるときは、本当に自分らしくわくわくしてて明るくて。

こうやってジェットコースターみたいに波がある感じ、
本当に私らしいです笑。


なんか話がそれました。
頭に思いつくままキーボードをカタカタ鳴らしているので、テープでもひかれていないとすぐコースアウトしちゃうみたい。

なんでもいいから文字にすると、例えばXに文字を打つだけで、
直接だと言えないような悩みでも、今まで体の中でもやもやしてたのが、まだ隣にはいるんだけど体の中からは出てくれたような気がしてちょっとすっきりする。問題は何も解決してないんだけどね。

怖かったら、誰にも見られない鍵アカでやったっていいし、
部屋で一人で紙に思うままぐちゃぐちゃに殴り書きだっていい。

日常生活では一人だと思っていても、
Xを開くだけで、たったそれだけで、
同じ人がたくさんいる。自分だけじゃないって思える。
私にとっては学生時代からずっと救いの場所だった小さな救いの場所でした。

この場所(note)はXよりもうちょっと、じっくり気持ちを受け取ってもらった上で自分の気持ちを整理してもいいよって言ってくれてる場所のような気がしています。

だからここでも、今日辛かったこと、書いてみようと思う。
誰にも言えないけど、でも、言いたいこと。
ここは、24時間年中無休だし、笑われることも何か言われることもない、書きたいだけ書いてもいいし、疲れたら終わりにしてもいい。
自由でいていい場所。

今日の大変だった、ちょっとしたこと

最近挨拶ができない。
今日だって私が一番最初に会社について、電気をつけていたら先輩がいらっしゃって。
そう、すぐ「あれ」を言わないといけないんだけど。
言えないの、どうしても。
どーしたもんか。

先に言われちゃう前にって焦って、「お」の言葉を準備するんだけど出てきてくれなくて。
10mくらい離れてたから、もっと近くに行って挨拶するっていう手もあったんだけど、近くに行って言えなかったら頑張って言おうとしている時の顔見られるし、嫌だなーと思って。
「作業を今してて、出社されたの気づいてないです」みたいな雰囲気を必死に出しながら(完全に失礼です)、体に力入れてなんとか頑張って言いました。
「ぉはようございます!」

ぎりぎり言えなかった時間セーフかな?とか、
何も思われてないかな?とか、
ひやひやしたーとか、
今日は朝からそんなもやもやの気持ちがありました。

挨拶ができないからって代わりに、「今日暑いですね」とかそういう会話を朝一番に挨拶すっ飛ばしてするのもちょっと違う気がして、、笑
明日はすぐ言えるといいな。
挨拶が皆みたいにすぐ言いたいときに言えると、それだけで一日の始まりの気分がちょっと違います。やった!言えた!自分すごいじゃーん!ってなります。
なので、言葉が言えた時の嬉しさハードルは人より低いかもしれません笑

私の日常の小さな工夫

どうしても言えない時、でも言わないといけない時、例えば挨拶とか大事な伝言とかの時、私がやっている工夫があります。
でもこれはあまり社会的にはよくないのかもしれません、、
(会社の方は私の吃音を知りませんが、でも優しいので何も言われたことはありませんが)
その工夫というのが、「歩きながら」「体を動かしながら」です。

よく吃音症の方は、言葉を出しやすくするために随伴症状といってどこかを動かしたりしますが、たぶんそれなのかな?
歩きながらっていうのは、自分の足が床につく瞬間の振動と一緒だと言葉が出やすかったり、歩くことでリズムができて言葉が出やすいです。

体を動かしながらっていうのは、
自然な感じで髪を触ったり(触りたくないけどねw)、
横を見るふりをしたり(何も見たくないけどねw)、
体を軽くたたいたり(じっとしていたいけどねw)とかかな。。私は。

でも、1か月前くらいに、会社で「ちょっと外出してきます!」って伝えたかったんだけど、言えなくて、でも早く出発しないとで、その方の周りをうろうろしちゃいました、、笑
動いても出ないときは出ないから吃音くんは厄介者だね。気分屋です。

しょうがないってできない事は

吃音症で小さい頃から言えないことの辛さ耐性みたいなものはちょっとずつついてきてはいるのですが、
例えば、昨日書いた『私の肉まん事情』は、辛いけどまあいつもの事だししょうがないやって考えられる。その瞬間は落ち込むけど、これが私だって気にしないようにできる。

でも、自分だけが辛い思いをすれば済む問題じゃないこと、他人が絡むとなると辛いんです。挨拶なんて基本中のきほんだから。
ちゃんと言わないと変な印象がついちゃうよーってね。
でもこれもそんなこと気にしてたら、吃音と付き合ってられないから、気にしないようにしたいんだけど、やっぱり誰かに今日こんなことがあってねって言わないとなんかスッキリしない。ずっと心に靄がある感じ。

だからこうやって、自分の気持ちを書ける場所があるだけで救われる時があります。書いたって、言葉が出なかったという事実も、言えない自分もそのまんまだけど、一人でぐるぐるしてるよりはなんか楽になる気がする。
言葉にできなかったら、ぐちゃぐちゃの絵でもいいし、泣くでもいい。

保育園の時のお絵描き帳みたいに
何も気にしないで書きたいときに書きたいことを。

ちな





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