ちな

私には小さい頃から吃音症があります。一人で抱えたまま20代になりました。おしゃべりが大…

ちな

私には小さい頃から吃音症があります。一人で抱えたまま20代になりました。おしゃべりが大好きだけど、一人でいることが好きな凸凹人間です。今までの経験やその時の思いを素直にこの場所に書きたいと思います。日々思ったことを息をするように、噓なく、自分らしく文字にすることが目標です。

最近の記事

吃音は男子に多いという呪縛

いつだったかちゃんとは覚えていないんだけど、 多分あれは、高校生の時。 誰にも相談できなかった私は、 なにかに縋りたかったんだと思う。 スマホに初めて「吃音」って打ち込んだ。 でも、 自分で自分を吃音だって認めるみたいで、 吃音の深い世界に入っていってしまいそうで、 吃音の情報に溺れてしまいそうで、 なかなか検索マークを押すのに時間がかかった。 一人で進むには怖すぎた。 何回も何回も深呼吸して、 心の中で、 「いっせーのーせっ、、、!」 なんて言って、初め

    • カミングアウトの先は「いつも温かい」わけじゃない。だけど、

      頑張ったら必ず報われると思ってた。 勇気を出したら楽になれると思ってた。 でも違った。 『人生は何もかも自分の思うようにいく訳じゃない』 『全ての人が自分の気持ちを分かってくれる訳じゃない』 そんなこと、もちろん頭では理解しているけど、 やっぱり期待してしまって、 そして期待していた分、思っていた反応や結果が返ってこないと勝手に落ち込んで、勝手に辛くなって、言わなきゃよかった、やらなきゃよかった、 なんて後悔する。 私ってほんと自分勝手。 私が最初に吃音の事を

      • カミングアウトのない世界。

        「カミングアウト」って、 最近いろんなところで聞いたり目にしたりするけれど、 その度に、 どういうわけか、もやもやを感じるんです。 「カミングアウト」という言葉がもつ中身って、 私にとっては、どちらかというと暗くて悪いものという印象があります。 ハッピーなことには使わないですよね。 「お腹の中にいる赤ちゃんの性別をカミングアウトするね!」 って言わないもんね。 だから、障害をカミングアウトするっていう言葉に触れると、 「障害=悪いもの、触れづらいもの」 というのを印

        • ことばの教室に行った意味

          昨日Noteを書きながら、頭の片隅で、 保育園の頃から通っていた「ことばの教室」についてのイメージというか、自分にとっての存在意義というか、そんなようなものに変化が起こっていることに気づきました。 私、小学生の時、ことばの教室って好きじゃなかったんです。 「皆が行かない場所に行くのは恥ずかしいだけだし、行っても吃音が良くなるわけじゃないし、意味ない」 って。 担当の先生には申し訳なくて言えたもんじゃないですけどね。 だからたまに、 「今ことばの教室に行っています」って笑

        吃音は男子に多いという呪縛

          吃音はそのまんまでも、今は自分の声だいっきらいじゃない。

          YouTubeを始めてから、 これは現実なのかな?と思うことが本当に多いです。 ドラマの中で、女優さんが自分のほっぺを抓ったり、顔を叩いて!と言う理由が理解できるくらい、信じられないことがたくさん起こっています。 あ。「YouTubeを始めてから」というより、 私には、YouTubeをしているという感覚は正直言うとあまりないので、 「動画に声を乗せるようになってから」の方が しっくりくるような気がします^^ 昨日も書いたのですが、吃音を理由にして人と喋ることを避けて

          吃音はそのまんまでも、今は自分の声だいっきらいじゃない。

          吃音の私がYouTubeで喋り始めた日

          まずは、昨日の記事、たくさんのコメントありがとうございました。 どう思われるか不安だったのですが、皆様のコメントを読んで落ち着きました。またゆっくり進んでいこうと思います。! 今日、お昼ご飯を食べている時に、ふと、 私っていつからYouTubeで喋り始めたんだろう と思って遡ってみたら、 2023年3月16日でした。 はやっ!!え?もう、一年、、、はん? 私がYouTubeに自分の声をのせようと思ったのは、 焦りからでした。 一年半前は、大学を卒業した後、精神的

          吃音の私がYouTubeで喋り始めた日

          同じ境遇の人と会うのが怖いなんて言っているのは私だけなのかな。

          少しだけ間が空いてしまいました。 先週の木曜日に会社の方たちとの食事会? いや、飲み会があって、 人と関わるのが苦手な私には、 12人の飲み会というのは刺激が強すぎたようで、 行っている最中は楽しかったけど、 お酒も飲んでいないのに、帰ってきた瞬間疲れ果てて、頭が痛くて、 それをきっかけに、ここ最近、気分が落ち込み気味でした。 あぁ、私はやっぱりとことん人と関わるのが苦手なんだなと再認識(笑)。というか、一人でいるのが楽なんだなという感覚です。 実はこの飲み会が決まってい

          同じ境遇の人と会うのが怖いなんて言っているのは私だけなのかな。

          今日も隠れてことばの教室に向かう

          「ことばの教室」って、この言葉を聞いたり見た人は この教室がどこにあって、どんな所だと想像するんだろう。 最初にどんなイメージが頭の中で描かれるんだろう。 何色なんだろう。どんな単語が浮かんでいるんだろう。 ことばの教室に行ったことがある方の頭の中のイメージも、 行ったことがない方のイメージも、とても気になる。 なんでこんなことが気になるんだろうって、手を止めて考えてみたけど、 きっと、「行ったことがない方のイメージが気になる」のは、 小学生の私がとても気にしていたから

          今日も隠れてことばの教室に向かう

          クラスで健康観察ができないのは私だけ

          なんで毎朝毎朝、健康観察をしないといけないんだろう。 クラスのみんなだってもう、めんどくさくなってるじゃんか。 今日はみんな元気そうだし、しなくていいんじゃないの。 いっそのこと、もうずっと・・ まあ、そんな願いは叶うはずもなく、 今日も先生は、名簿1番のあだちくんの名前を呼び始めてしまう。 はぁ。今日も始まっちゃった。 そもそも、健康観察ってどこの小学校でもやっているんだろうか。 もしものもしも、健康観察がない小学校があったなら、 それを知った当時小学生のちなは心底羨

          クラスで健康観察ができないのは私だけ

          私を構成しているのは吃音だけじゃないと気付いた日

          吃音(きつおん)この漢字2文字、ひらがな4文字が、 私には小さい頃からあまりにも大きすぎる存在で、 私を構成する要素と言われて、まず真っ先に思い浮かべるものだった。 自分ってなんだろう、 思春期に入ってそう考える度、口にしなくてもいつも頭の片隅には その2文字が浮かび上がってた。 嫌なものって、良いものの上に簡単に上書きされちゃうように私の頭はできてるみたい。 考える度ネガティブな色の糸が頭にぐるぐる巻きにからまっていく感覚。 一回入ってしまったら、抜け出せないネガティ

          私を構成しているのは吃音だけじゃないと気付いた日

          吃音の事言わなきゃよかった。でも。

          「やっぱり相談したって意味なかった」 「私はこんなに勇気出して頑張ったのに」 「受け入れてくれると思った私がバカだった」 「こんななら話さなきゃよかった、、時間を巻き戻したい」 あの日勇気を出して、 もしかしたら心が楽になるかもしれないって入った 大学内のカウンセリングルーム。 でもそこを出た30分後の私の頭の中は、 こんな真っ黒な言葉たちでいっぱいだった。 あの日、あの大学の中で、一番性格が悪くなっていたな(笑) いや、性格が悪いというより、 すごく口の悪い独

          吃音の事言わなきゃよかった。でも。

          吃音って、なんでこんなに相談しにくいんだろう

          今日は、どうして私が吃音のことを、小学生の時から20代になった今日まで、現実世界で吃音をなかなか相談しにくいのか書いてみようと思います。 「吃音の事を相談する」=「自分の恥ずかしいとこと向き合う」 今もやっぱり恥ずかしい。ただただ恥ずかしい。 学生の時は今よりもっと、吃音という名のおもーい塊の「恥ずかしさ」を抱えて、背中で抱えているそれを見られないように、常に緊張しながら生活していました。 同級生、先輩、先生と喋るとき第一に考えるのはいつだって、喋りたい内容じゃなくて、

          吃音って、なんでこんなに相談しにくいんだろう

          辛い出来事は辛いままの物語じゃない。

          大学生の時、ドーナツ屋さんでアルバイトをしたかったけど、 吃音を理由に、一人で静かに諦めたあの日から数年経った。 もし、あの時の私が今の私を見たらどう思うんだろう。 なんか今日は朝からそればっかが頭の中をぐるぐるしてる。 なんだろう、これ。 コメントたちが過去の私と対話する感覚 吃音のある私に接客のアルバイトは無理だと思ってドーナツ屋さんのアルバイトを諦めた話をこのnoteに投稿した時、たくさんコメントをもらって、 なんだかそのコメント欄が大好きなんです。 全部のコメン

          辛い出来事は辛いままの物語じゃない。

          吃音を隠すための咄嗟の嘘

          いつもは、会社で辛いことがあったら「しょうがないよね」ってなんとか思えるように、自分を無理やりこっちの方向に向かせようとしているんだけど、 今日のはちょっと一人で抱えきれそうにない。 だから、そのこぼれた分をここに。 今は書く文章が暗くても、いつかの私が見た時、 今日のこの辛いだけの出来事の物語が変化しているといいなと思うから、 noteさん、大変じゃなかったら、 ずっとこの抱えきれなかった分を持っていて欲しいです。 辛いことってすぐ、濃くはっきり上書きされちゃう 自

          吃音を隠すための咄嗟の嘘

          今の私にはまだどっちの道が心地よいかわからない

          最近、吃音のことで辛いことがある度、 「早く答えを決めろ」とばかりに、 私の意識下に、ある問題が突き付けられる。 誰がこの問題を突き付けているのかは分からないけど、 とにかくこの問題とずっと戦っている。しかも超難問。 数学みたいに答えが1つに決まっていて、誰が何と言おうと一生変わることのない「これ」っていうのがあればいいんだけど、 この問題はそうじゃない。 どっちを選んでもいいから、だからこそ、どうすればいいか分からない。 そういえば、 学生の時も国語は苦手だったっけ。

          今の私にはまだどっちの道が心地よいかわからない

          初めて接客に挑戦したいと思った思い出のドーナツ屋さん

          小さなドーナツ屋さんでの小さな諦め 大学生で一人暮らしをしていたあの場所から 自転車でちょっといった所にあったあのドーナツ屋さん。 病院とか、一番お得なスーパーとか、図書館とか知っておかなきゃって、 入学前によく近所を散歩したり、自転車でミニミニ一人旅をしてた。 そんな時、ふと左側に見えたあのドーナツ屋さん。 小さい建物の端から端まで いろんな色のドーナツたちがショーケースを通してこっちを見ていて、 その瞬間、心がふわっとしたのを覚えてる。 (うわ、かわいい、、、!

          初めて接客に挑戦したいと思った思い出のドーナツ屋さん