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2014年 香港に問いたい

香港の2014年、セントラルの路上占拠(オキュパイ・セントラル)、その後の公安の排斥に対する雨傘運動を、日本の明治維新と比較して考えてみる。 

香港は、若い学生が「このままじゃ、香港はやばい、どうにかしなければ」と、当時は無名の学生たちが、数十人で始めた運動で、指導者と言うべき中心人物がいなかった。 政府側には、反共の志を持つ者は、パージされいなかった。 また、確固たる目的が目の前の問題解決のみで、反政府運動まで広がらなかった。 

明治維新は、下級武士や、武士階級以外の若い人々が、「このままじゃ、日本はやばい、何とかしなければ」と、当時は無名の志士たちが、立ち上がり、各藩ごとに指導者や中心人物がいたうえ、幕藩体制の中にも、日本を憂う者たちが居た。 また、最終的には倒幕と言う、反政府運動にまで、目的が拡大され、明確になっていった。 

2014年、香港の人口は約724万人、セントラルに集まった市民は、二十数万人、全人口の約3%になる。 これだけの人々が反政府運動として武器を持って戦えば、多くの人が亡くなっただろうが、世界は反中国に動いただろうと思う。 無抵抗主義で、中国の政治に立ち向かったのが敗因ではないか。 天安門の例がある通り、中国は政治的造反を絶対に見逃さないし、暴力で押さえつけに来るのはわかりきっていた。 実際に深圳に戦車を配備している。

幕末の人口は、約3380万人で志士は2万人程度と思われるので、全人口の約0.05%程度にしかならない。(藩のあげて倒幕に動いた人数はここには含めていない、それを含めても、5%程度と思われる) 

これらの比較を考え、香港の運動が失敗した理由は、命をかけて志士活動をするものが居なかった。

また、幕末には、高杉晋作、西郷隆盛、坂本龍馬など、本当にどうにかしようと、命をかけた志士たちが居た。 

香港の若者に、坂本龍馬が居れば、高杉晋作が居れば、香港の未来は変わったと思う。

歴史にIFは無いが、2014年は、香港の未来への分岐点だったのだろう。 

2022年、自由の国、香港を見たかった。 


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