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共感と非共感

noteにある記事や小説を読んだとき、 
多くの人は共感を得た場合、 
スキやフォローをすると思います。 

時には自分もその作品に影響を受けたり、 
インスピレーションを貰ったりして記事を書いたり、 
紹介の記事や、批判の記事や、コメントを書いたりします。 

実はビジネスの世界でも、
共感は使い方によりとても役に立ちますが、
共感の仕方や表現の違いで、トラブルの元にもなります。

共感には、
情緒的共感認知的共感の区別があるのですが、
多くの方は、情緒的共感で共感を感じており
認知的共感はピンとこない人も多いのかも知れません。

説明しなくても、情緒的共感はわかると思います。
なので、認知的共感について簡単に説明すると、
共感とは相手の気持ち(ニーズ)を読み取ろうとする人間工学的なモノで
認知滝共感は洞察力により相手の気持ち(ニーズ)を読み取ることにより
相手の考えている事や状態を理解するように共感していきます。

なので、
相手の気持ち(ニーズ)が満たされる共感は、相手は心地よく感じ、
相手の気持ち(ニーズ)が満たされない共感は、不快に感じます。
なので共感の表現方法一つで、相手は不快に感じたり、
心地よく感じたりします。
なので、相手が共感されて心地よいと感じる共感が共感で、
相手が不快に感じる共感は非共感と言う分類になります。

自分は共感したつもりでも、
その共感が相手にとって不快であるならば
それは非共感という事になります。

そこに気が付かないと、
共感して書いた記事やコメントが
実は非共感な記事やコメントになります。

情緒的共感するだけなら誰でもできますが、
プロフェッショナルならば、
自分の魂は安く売ってはいけません。
と言うか、プロフェッショナルは共感しても、
感情で物事を判断しません。

自分は、ある意味わざと相手が不快と思うような
記事やコメントをすることがあります。

それは、自分に身についたビジネススキルで、
相手をはかっていて、
コメントなどで相手のレベルを確認する行為です。

まぁ、ほとんどが自分の様なビジネススキルやノウハウも持たず、
「小さなプライド」で、本当の自分の価値を理解しておらず、
その自分の価値をあげようと努力を怠っていた人々で、
その反論は、自分より上位のモノの威を借り、
私を貶めたと勘違いした発言でしかなく、
その内容から、自分は「小さなプライド」で生きていると
自ら表明しています。

共感して記事を書いた場合でも、
相手の気持ち(ニーズ)を満たさなければ、
共感ではなく、非共感、つまり批判や揶揄になるのが、
共感を人間工学的に考えた場合の結論です。

所詮、自分の記事は縁側でジジイが茶を飲みながら
昔話をしているようなもので、聞いてくれる人がいてもいいし、
いなくてもいいと思っています。

ただ、経験やスキルの少ない人のヒントになるのかなぁ。
なれば、良いなぁ。
と言うスタンスですね。

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