忘れられないおばあさんの言葉

ある季刊誌に寄稿した過去のエッセイをお届け!
全4回のうち、今回は3回目の記事になります。
2回目まではコチラ↓

三姉妹の長女で寺で育った私は一旦寺から離れたましたが、夫が脱サラして私の故郷で起業したことを機に、帰って自ら住職となりました。
その節々で感じたあれやこれやを記しています。



第3弾 忘れられないおばあさんの言葉

 
23歳で得度(僧侶資格を取得)し何とか僧侶となった私は、翌年の夏、ご門徒宅にお参りする盆勤めを初めて経験しました。
読経もぎこちなかったのですが、有り難いことにどのお宅でも、もったいないお言葉をかけていただきました。

「おかえり」と言って涙を流して迎えてくださった方も一人ではありませんでした。

中でも特に忘れられないのは、一人暮らしの女性のお宅にお参りした時のことです。
 
その方は「おばあさん」と呼べるくらいのお歳の方で、なぜか無表情にも近い表情をされていました。お勤めが終わり、ほんの少しお話しをして玄関を出ました。すると、外までついて来てくださいました。

「わざわざ見送ってくださるなんて意外に丁寧だな」などと思っていたら、ボソッと

「ありがとね」と言われました。

そしてこう続けられたのです。

「私も娘しかおらん。あなたのお母さんと同じで」


思わず私は立ち止まりました。

「ずっとあなたと、あなたのお母さんのことが心配じゃった。


私はここへ嫁に来て、娘しかよう産めんじゃって、たくさん辛い思いをした。悔しいこともようけ言われた。

そんな時は仏さまの前で泣いた。

今はね、娘でよかった、本当に幸せじゃと思うちょるんよ。
でもね、あなたのお母さんも同じように辛い思いをしよってんじゃないかと思いよったの。
でも今日、あなたのお勤めを聞いて安心した。ほんまによかった」

そう言って、おばあさんは初めて笑顔を見せてくれました。

その日から私は、ずっとこの言葉に包まれています。

三姉妹の長女である私は、お寺の仕事を多少は手伝いはしても、当時はまだ継ごうとまでは思えずにいました。

だけど彼女の言葉を聞いて、ようやく分かったのです。

私はこういう方たちに育ててもらったんだと。

私が顔も名前も知らなくても、みんなは自分の身内でもない母や私のことをちゃんと知っていて、とても心配してくれていたのだ。

そしてそんなみんなの心には、阿弥陀さまがおられるのだ、と。

私がどうしたいとかいうことはもう、大したことではない気さえしました。

そして何よりも、どうしようもなく私は恥ずかしかったのです。

          
              平成28年発行「季刊せいてん第115号」より



私は寺に帰ってもう17年になるのに、住職として僧侶として未熟だと自分が
嫌になったり、つまらないことで迷ったりヘコたれたり、時に憤慨したり、上手くいかないことを周りのせいにしたりと、まあまあなポンコツぶりを発揮しながら生きています。

あまり大きな声では言えませんが、寺に生まれさえしなければ、もっと自由に、気軽に生きられたかも・・・と思うことも未だにあります。

そんな時思い出すのは、今までいろんな門徒さんたちからかけてもらった、本当に身に余るようなあたたかい言葉たちです。
それらを思い出すと、単純だと笑われるかもしれませんが、本当にまた気持ちが前に向くのです。

この話の中に出てきた女性は、すでにお浄土に還られました。

ですが今でも私は、全てを投げ出したくなってしまうような時に、この言葉を思い出します。

あの日からずっと、この言葉に包まれています。


 








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