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ポジティブの弊害

この世の風潮でポジティブはいいことみたいになっているし、いいことだと言われる時もあります。

しかし、ポジティブがいいことだと一概には言えないと思います。

その理由は

元気な(ポジティブな)芸能人程心を病んでしまう印象だから


これはなんでだろうとふと、思ったんですね。

私もポジティブすぎるのも良くないよな〜って思う心あたりがあるからです。


それはどんなことかというと、

ポジティブでいなきゃという気持ちが心身疲弊させる。


本気で自分の意思がネガティブだった場合、自分の気持ちに嘘をついている事になるのでとても疲れるんですよ。

例えばの話
→自分が可愛くないこの世の終わりのブスと思っている場合どう頑張っても自分は可愛いと思っても鏡やショーウィンドウ、車内、あらゆる場面で自分の顔認識した時に本心ではこんな顔面で生きていたくないと思ったとしましょう。

でも、ダイエットにも限界があるし言葉で思い込ませたとて人の対応をみれば一目散なんですよ。

そういう具合にはあ、自分って何やっているんだろうって思うじゃないですか。

そしたら、余計心が疲れるんですよ。

学力とか頑張ったら結果が出そうな場合はポジティブに思ったらいいと思いますよ。

でも、そうじゃなく人って生まれ持ったもの。家庭環境だったり、容姿変えられないものもあるじゃないですか。

それで無理矢理ポジティブになると心がバキバキになります。

ネガティブ=傷ついた経験

だと思っています。
それに無理矢理大丈夫だよとあら治療のように、無理矢理ポジティブを植え付けたところで根本的には塗り替えられないんですよね。

容姿に関してだったら、思春期にデブ、ブスって言われたからダイエットした。整形した。というのをよく耳にします。

家庭環境が悪くて凄く寂しい思いをした、学校でいじめられた。

どうですか。ここら辺ってセットな気がするんです


ニュースで出てくるようなのは親が虐待までいかなくてもどっちかが変で苦しい思いをしたけど学校でも浮いちゃってみたいな例をすごい見ます。

そんな人がどうですかポジティブ吐き続けたら心が死んじゃいます。


アイドルでもいますよね。明るくてすごい優等生で勉強もアイドル業もバリバリだったのにODで救急搬送されて帰ってきません。理由は誰にも分からないし、これからも言われないと思います。

親が幼少期に離婚してるパターンよくありますよね。

三浦春馬くんだってこの世には戻ってきません。どんな理由があったか分からないですが、私は小学生の頃絶対結婚するのは春馬だと思ってました。

明るくて無くなるなんて自死するなんて思ってもみなかったです。今でも嘘と言ってほしいんですが、弱みをそこまで見せてなくてポジティブで子役からやってたなにか負担とかあると思うんです。

私は一時期大好きすぎて全ての番組を見ていましたが、亡くなるほど悩んでいるとは思わず、頑張らなきゃの意識が強かった人と思えます。

自分の中の限度があるにもかかわらず頑張らなきゃと言葉で奮い立たせるんですよね?

それならもう無理だって言える世界が欲しい


みんな弱音吐けないじゃないですか、アメリカだとカウンセリングを受けるのが恥ずかしい事でも特別な事でもない環境ですよね。

日本は本音と建前があって、
気を遣う国ランキング上位だと思うんですが、中々弱音を吐ける場所があるかといったら強いて言うならSNSで匿名で。といった具合だと思います。


最近の若い人でブラック企業で頑張れないのに頑張った結果鬱みたいなのもあるあるな話ですし、

ポジティブに精神論だけではあまり良くないと思うんです。

頑張れないなら頑張れないでいいじゃん


みんなそんなに完璧じゃないよ。
時には死にたい時だって辛い時だって泣きたい時だってあるじゃん。

思い詰めなくていいじゃん。

そんなはっぴーラッキー人間なんていないじゃん。

だから、弱音を吐き出そうよ、ネガティブだっていいじゃん。他人の前で卑下しすぎなければね。


ネガティブを口に出したくない人間もいると思います。
そういう人はそれでいいと思うんです。
でも、ネガティブを出したいのに空気を読んでポジティブでいる人は違うじゃんって話。


心の健康の為にもきれいごとでポジティブだけであるのはやめようねという話。

偽のポジティブに騙されちゃダメだよ。

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