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私なりの「コトに向かう力」の話

ママ友からシェアしてもらったDeNA南場さんのかつての講演の話。

ちょうど子供のお迎えに行く途中、仕事を終えた後でアドレナリンが放出されていたからか、小雨でも降りそうな曇天のなかだったからか、南場さんの優しい口調のせいか、読んでいてなんかセンチメンタルになってしまって、久々に思ったことを書き残したくなってしまった。

男女の話

「男とか女とかの議論があまり好きじゃない」というくだり、とても共感できる。
でも少し南場さんとは経緯が違う。

私の家庭は、いい意味で母が強い。強いというか、とにかくパワフル。
学校の教員をやっていたのだが、子供の贔屓目に見てもいい先生で「女版 金八先生」という感じ。
母親が仕事をしている姿は当たり前で、父親は家事も育児も手伝っている。まさに男女平等な家族でした。

さらに、新卒入社した会社はサイバーエージェント。男も女も関係なく、とにかく仕事が大好き。成果を出した分だけ評価をしてくれたし、“女なんて”と男尊女卑を感じることは1度もなかった。

逆に“人”に固執しなくなった

家庭も社会人生活もありがたい環境だったおかげで、頑張ったら人は評価してくれるし、自分も人のために尽くそう、が当たり前になったのかも。

結果として、“人からの評価や見返り”に対して過剰に反応することなく生きている。

余談ですが、前に友人に「道村は性善説で生きてるからなぁ」と言われて確かに、と思った。その通りであまり人を疑わないし、騙された経験もあまりない。(気づいてないだけかもしれないけどw)

そんなこんなで、南場さんとは違うアプローチだけどシンプルに「自分の人生何を成すか」だけを考えていたように思います。

多様性を受け入れる理由

もう一つの私の大きな原体験は幼少期のアトピー性皮膚炎。
よくインタビューでも答えているけど、小学校の時は酷くて、プールに入れば顔は真っ赤になり、円形脱毛症もあった。
よく病院に行って遅れて登校していたし、学校の給食の牛乳は飲めず、ルイボスティーが入った水筒を持って行っていた。今となってはオシャレで健康的な飲み物だけど、あの時期は“友達と違う”というのが恥ずかしい年頃。
友達はたくさんいたけど、心無い言葉を言われることもありましたわ。

当時の自分は偉いなぁ思うけど、人の悪口を言わないようにしていた。何故なら、自分が言うってことは他人から言われても仕方ないから。
いじわるしてくる子も悪さしている子も、「きっとこういう理由があるから」「その子の考えもあるかも」とか思っていた。

おいおい、どんな小学生だよ、と思うかもしれないけど、相手の価値観を認めることで自分のアトピーという負い目をカバーする、ある意味自己防衛反応だったんだな、と。

ということで、けっこう多様性受け入れ型な人間だと思ってます。

私なりの「コト」とは

色々…色々あって教育事業をやっているわけですが、(色々を書いていたらキリがない)私にとっての“コト”は“教育”でした。

アトピーの時期ってけっこう実は辛くてですね、“死”というキーワードは何度も頭をよぎりました。
でも、そんな勇気すらないので「こんな辛い思いをしてまで生きていくなら、何か理由がないとやってられない。自分が生まれた意味は何なんだ。」とこれまた小学生らしからぬ思考をしたおかげで、人生の使命を探す長い旅が始まったわけです。

で、ありがたいことに“教育”という領域を見つけ、没頭する日々。
(この“教育”には仕事も自分の子育ても入っているかも!)

それもこれも、自己肯定感が低かった私に愛情を注いでくれた親のおかげで“自分”は満たされ、いい人に囲まれ続けたおかげで“人”も満たされた。

私は、“教育に向かう力”に100%注げていて幸せだなぁ。

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