精神障害者手帳をもらった日

今日は精神障害者保健福祉手帳の交付日だったので、朝から市役所に行き、手帳を受け取った。
私は「社交不安障害」という診断で手帳を取った。
前日に今までのことを振り返って泣きそうになった。

物心がついた時には、人見知りが人見知りの度を超えていた。小学校高学年の時には、話そうとしたら声が出ない・無理に話すと吃るという症状に苦しんだ。
「これ以上、話せなくなったら大変だ」と自らの状況に危機感を覚えた。

小学校を卒業し、慣れない環境に身を置いた中学生時代は黒歴史を超えて、酷く気分が落ちた時には「人生狂った」と本気で思った。

中学2年生のある日、突然、授業中の発表で声が出なくなり死ぬんじゃないかと思った感覚は今でも鮮明に覚えている。得体の知れない「それ」は日を増す事に酷くなった。受験のプレッシャーに耐えられなくなった中学3年生の時には1対1ですら、話すことが難しくなることが多かった。

それなのに高校受験の面接はなぜだか、話すことが出来てホッとしていたら入学式後の自己紹介で、固まり続けて先生を困らせていた。高校生の時にはもう、授業中の発表や点呼がとても怖くて「声を出すこと」がもう無理だなと感じていた。

そんな状態だったけれど、「勉強はやらないとな…」という気持ちは働き、部活にも入った。特別な理由がある休み(部活の大会や急病等)以外は休んだことがなかった。
中学生時代に、「高校生になっても治らなかったら病院に行こう」と決めていたけれど精神科というところが当時の自分にはハードルが高く、そのまま高校を卒業し、手厚い先生方の支援を受けてどうにか就職した。
(就職の面接は事情を話してもらい免除になった)

就職先が工場だった為、「接客ではないから人とコミュニケーションを頻繁には取らないし、大丈夫だろう」と思っていたら、入社してすぐの朝礼で自己紹介も何も話せず、上司にめちゃくちゃ怒られた。
この時も「慣れたらいける!」と思っていたから、私のメンタルはなんかすごい…。(笑えない)

入社して半年くらい経った頃、人間関係も慣れたはずなのにますます話せなくなっていた。質問をすることすら出来なくなっていた。
そんな私を見て上司は、「こんな簡単なことなのに出来ないのはなぜなのか。仕事だからやりなさい」と注意した。その時に「これが毎朝続くのは耐えられないし、このままだと皆に迷惑をかけてしまう」と思い、その年の夏に初めて心療内科を受診した。そこで初めて社交不安障害と診断された。

とりあえず精神安定剤を処方されて、飲み続けていた。しばらくは身体の力が抜けて少し話しやすくなるかもという感じだった。それでもなかなかコミュニケーションを取る事がうまくいかず、おまけに電話対応がある部署だったので、電話先の人によく、「もっと、ちゃんと話せないのか?」と怒られていた。
そんな状況が1年以上続き、残業も多くて身体は休まらず、とうとう心身ともに力尽き退職した。

退職してからしばらくは、ハローワークに行き就職の相談をしたり、サポートセンターにも行ってみたけれど、なかなか思うように行かず気持ちも沈み引きこもっていた。そんな状況が1年半続いた。

そして母からの勧めもあり、「こんなんじゃダメだ」と思った今年の9月半ばに「障害者手帳を申請して、就労支援を受けよう」と思った。

今は就労移行支援の体験をしつつ、通所できるように考えているところで、自分の出来ることを少しずつやるということにした。今までは「みんなと同じレベルじゃないとダメだ」と思っていたけれど、「人それぞれ能力に差はあるし、少しずつでいいんじゃないか」と思えるようになってきた。

今まで、説明がつかない苦しみや理解がない人からの言葉で傷ついたこともたくさんあったけれど無理はしたくないし、何より「自分らしく生きたい」という気持ちが大きかったから、少し気持ちがラクになった。
生きやすいように自分でカスタマイズしていけたら、もっと明るい世界をもっと見られると思う。

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