8月31日が怖い君へ

8月31日の夜。あの頃の私は何を考えていただろうか。

小学校低学年の時は「夏休みがもう終わっちゃう…」と寂しがっていたのに。学年が上がるにつれて憂鬱になってゆく。人間関係って恐ろしいや。
自分の人生の「○○に行きたくない」という理由の大半が人だった。

あと、小学校での夏休み明けの授業で、「夏休みの思い出」みたいなものを作文やら絵やらで書かされることも嫌だった。夏休みだからって皆が思い出を作って来られると思うなよ。家庭の事情とかで何処へも行けないような子も居るだろうし、それを書かせた教師たちはそういう事も考えていないんだろうな、と子供ながらに思っていた。私はずっと、祖母の家に行ったことを書いてきた気がする。

今はSNSが普及していて相談機関も増えているから、少しは子供たちの居場所みたいなものがあるのかなとも思う。市の図書館の掲示板にも「学校に行きたくない時には、図書館来よう」という貼り紙が貼ってあった。
それでも真面目な子は、「無理してでも学校に行かなくちゃ!!」と思ってしまうだろうし、相談出来る場所があっても他人に話すということはとても勇気が要ることだから「本当に言いたかったことは言えない」という事もあると思う。

私が最も学校に行きたくなかった中学時代はなぜか、「勉強はしなくちゃ。高校は出なきゃ」という思いが強かったのと、「ここで行かなかったからもっといじめられる」と半ば意地にもなっていてどうにか行けたけど、頭は痛いわ、胃も痛いわで身体にはかなりの負担をかけていた。

みんな完璧で居る必要なんて何処にもないよ。
もし、「そんなの綺麗事だよ」という人が居たとしてもその時の自分の「こうしたい!」という気持ちを優先して欲しいと思う。しんどいなら休めばいい。
死にたいなと思うくらいなら、ますます行かなくていい。命を守ってあげてって伝えたい。

中学生のいじめで自殺したというニュースを見る度に、「行かなくていいという選択はなかったのか」と悲しくなる。学校に行かなくてもその子達は亡くなっていたかもしれないけれど、「逃げてもいい」という選択肢があるとないとでは大きく変わると思うから。

卒業して何年か経てば、自分のことを覚えている人などそんなには居ないだろう。小さい小さいコミュニティのひとつに過ぎない。
だからこそ、そんな小さい箱に押し潰されないで欲しいし、もっと自分らしくキラキラ生きて欲しい。そんな所に命をくれてやるほど、価値は低くないぞって。

もっともっとやりたいことだって増えるだろう、親友だって出来るかもしれない…。
そんな未来の宝石になるようなものたちを、もっと磨いて、ダイヤモンドみたいに輝けたら素敵だなって思う。

子供も大人も1人じゃ生きられないし、支え合いたいなって思う。ルールに縛られていたって、誰も楽しくないもんな。心の選択肢も増やしていきたいな。

これを書けているのも、あのときの8月31日の私が生きると選択してくれたからなのだ。ありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?