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【第975回】昔のアニメを見て「正義」について考えた。 - Madoka Sawa https://voicy.jp/channel/632/109348 #Voicy トムとジェリーとトゥイーティーはやばい



【第975回】昔のアニメを見て「正義」について考えた。 - Madoka Sawa
https://voicy.jp/channel/632/109348
#Voicy
トムとジェリーとトゥイーティーはやばい

いかがお過ごしでしょうか?
澤でございます。
今、僕は千葉の方のIKEAに来ておりましてですね。
IKEAの中のカフェテリアの中でこちら放送を録ってます。
もしかしたら、ちょっと周囲の音が気になるかもしれないんですけども、ご了承ください。
さて、えーIKEAのカフェテリアで食事したらですね。
僕のまぁ視界にテレビのモニターがあって、そこでずーっとですね。
ワーナーブラザースのアニメが流れてるんですね。
ワーナーブラザースって言えば、どんなのがあるかというと、トムとジェリーとか、トゥイーティーだったかな、ロードランナーとかですね。
そういったものが思い浮かぶんじゃないかと思うんすけども、それが、ずっと流れてるんですが、まぁ、本当、クオリティーが高いアニメーションで、すごく面白いなと思いつつ、ちょっと思ったのが、これ、今見るとやばいですね。
暴力描写が恐ろしいというか、フライパンでひっぱたいて、ペチョンコになっちゃったりとか、あるいは体の大きい方の動物のキャラクターってのが、ひどい目にあうんですけども、えー、オーブンに突っ込まれてですね。
丸焦げになったりとか、これ、マジやばいだろうと、このままやったら、猟奇殺人事件ですよね。
そういった感じだったんすけど、そして、いろんなものが凶器として使われてますね。
今見てる中ではですね。スパナで殴ってますね、やばいですね。
まぁまぁ、それはともかく、何となく、ここでちょっと見え隠れするのが、片側が善で片側が悪、もしくは、片側の攻撃は正当化されて、片側の攻撃はまぁ、反撃されてしかるべきものであるみたいなそういう描き方が極端になされてるんですよね。
漫画だから、別にいいじゃんという考え方もあるんですけども、こういった思考っていうのが、定着しちゃうとちょっとやばいよなって気もしますよね。
というのも、正しい正しくないっていうのは、常にいろんな形で解釈ってのがなされるわけで、自分が正しいというふうに思い込んだ瞬間から、場合によっては、暴力が正当化されかねないわけですよね。
暴力を正当化するという思考ほど、やばいものはないと。そして、それも一つの表れというのは、例えばネットにおける誹謗中傷、こういったものも言えるんじゃないと思うんですね。
なんとなく、ある側に立って、これが正義であるってなると、ある人の行動ってのは、全部間違いというふうになりかねないですね。
あるいは、勝手に作られたルールなり、枠組みというものを正義にすると、それからはみ出た人っていうのは、悪になるというふうになってるわけです。
今日ですね、あるメディアに向けての原稿を書いていて、その時いろいろ調べ物をしてたんですね。
そのときにたまたま行き着いたのが、ダルビッシュさん、今、大リーグのピッチャーやられていて、こないだ素晴らしい成績でシーズンオフを迎えた。
あのダルビッシュって投手、いますよね。
ダルビッシュさんのえーインタビュー記事を見てて、そうだよなと思ったのがあって、結構、アウトロー的な売り方をしてるわけですね。
売り方というか、あのー自分に素直に生きてるだけだなと思って、僕は素敵だと思ってんですけど。
あの人、例えばものすごい長髪なんですね。
今長髪仲間として、は嬉しいんですけども、髪の毛をすごく長くしてると、そしたらですね。
スポーツ選手らしくないとか、日本人だったら、もっと清潔にすべきだとか、そういうことをネットで言われるらしいんですよね。
まったくもってこれ余計なお世話と思うんですけど、だいたいスポーツ選手らしくとか、日本人ならとかっていうのは、ある人が勝手に決めた枠であって、自分がそこに入るんだったら、まぁそれはそれで勝手ですけれども、相手にそれを押し付けて、そうあるべきであるっていうのは、ちょっと思い上がりすぎじゃねぇのって、僕は思うんですよね。
ある価値観があって、それを自分の中で正義であるというふうに思うのは、それで別に構わないと思うんですけれども、それは自分の行動っていうのを律するために存在する考え方であって、他人をそこに押し付けるというか、その枠に押し込めるために存在してるものではないというのが、これは僕の考え方です。
いや、その考え方も違うんじゃないのって人、中にはいるかもしれないんですけども、僕は尊重しますけれども、僕は賛同しませんし、あるいは、僕の考えと違うからといって、別にフライパンで引っ叩いて、ペッチャンコにしたりとかですね、スパナでぶん殴ったりとか、オーブンにツッコんで丸焦げにしたりとか、そういうことをするつもりもありません。
ただ、賛同はしないし、そして、そういう考え方を押し付けられても、それに合わせるつもりもないし、ましてや、その考えを押し付けるときに暴力的な言葉を言ってきたとしたら、しっかりとそれに対しては反論するし、場合によっては一切のコミニケーション取れないようにブロックをすると、そういう自己防衛ってのは、させていただこうかなと思うわけですよね。
やっぱりこの片側が絶対的に正しいとか、片側はいくら攻撃してもいいっていう、そういう状況っていうのはちょっと異常だなって思いますし、そういった世界がアニメーションでこうやってわかりやすく語られてるっていうのってちょっとやっぱ怖いなって思うことありますよね。
まぁ、桃太郎なんかもよくそんな形で解説されるありますけれども、鬼ヶ島に行って、鬼退治して、そして鬼が持ってる財宝を持って帰って、スターになるって、これちょっと見方を変えると、暴力と略奪ですからね。
その鬼の子供たちってのがいたら、どう思うんだろうかみたいなそういった分析なんかもなされてたりしますけども、やっぱり、片側が絶対正義であるっていうふうに定義するのはちょっと恐ろしいことかなと。
当然、そこにはいろんな人間関係の複雑性であったりとか、いろんな価値観がこう入り乱れていたりとかするので、それぞれに正義があり、そしてそれぞれの正義のもとに自分が生きる分にはそれはいいんだけれども、他者に対してそれを押し付けたりとか、他者に対して、攻撃の言い訳にするとか、そういうのはもう絶対やっちゃいけないなと思いますね。
まぁ、組織にいるとですね、うちの会社はこうだからこれは昔からこうやって決まってるからとかっていう感じである見えない正義というものを押し付けられる場面ってのは、ぼちぼちあったりするんじゃないかと思うんですよね。
でっ、これは会社のルールだからとか、昔から決まってるものだからっていうものに対して賛同ができないなと思ったら、それは別に主張しちゃっても構わないと思うんですよね。
そして、それにして反発することを正義だと思う必要もなくて、ただ単に自分は賛同できないから従いませんというふうに言って、もしそれが会社にとって不利益になったりとか、あるいは会社の経営に対してすごくネガティブな影響を与えるんだったら、その会社辞めればいい訳ですよね。
別にその会社のポリシーを曲げさせる必要もなくて、自分の方から辞めてしまって、別の自分が働きやすいところに身を置き換えればいいというふうに考えると、割と思考は自由になるのかなと思うんですね。
やっぱ一番いいのがフリーランス、もちろんこれですね。
中々ら大変な所もあるんですけども、とにかく、自分の時間は自分で全部マネジメントできるようなりますんで、僕はもう個人で活動するようなってですね。
本当に心自由になりましたし、そして自分が定義する正義というものの中で、生きればいいと。
そしてその中で、他者に対して貢献すればいいというふうに考えられるようになったんですね。
今めっちゃですね、幸福めっちゃ高いですね。
ということで別に皆さんに会社辞めましょうというわけじゃないんですけれども、そういう生き方もありますよというのをご紹介して、今日の放送を切りたいと思います。


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