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映画『82年生まれ、キム・ジヨン』を観て/静かなる絶望を感じた


映画『82年生まれ、キム・ジヨン』を観た


原作はすでに読んでいたが、映像として今回初めて鑑賞をした


韓国で130万部以上のベストセラーとなった小説が原作で、


K-POP女性アイドルがこの書籍を読んだと発言しただけで炎上が起こるくらい


とても話題となった作品で有名だ


この作品はキム・ジヨンという幼い子どもを育てている女性が主人公で、


突如ある精神的な病気を発症してしまう


それは女性として生まれ育ち、受けてきた様々な困難・違和感が


積もり積もって、あることをきっかけに起きたことだった


キム・ジヨンのこれまでの人生を振り返りながら



彼女自身が人生に向き合っていく姿が描かれている作品である



私自身の率直な感想としては、非常に心打たれるものがあり、


お隣の国で起きていることだが日本とほとんど変わらず、


共感のあまり涙したシーンがいくつもあった


そして静かな絶望を感じた


私は専業主婦ということで、偉そうに言える立場ではないが、


女性として生きてきたからこそ、


女性として不利益を被ったこと、
女性として困ったこと、
女性として余計なことを考えなければいけなかったことは


少なからず経験をしてきたし、今もそうだ


特に学生・社会人になりたての頃は


痴漢・セクハラ・差別発言を受ける等は幾度と経験したし、
(現在進行形でトラウマになっていることもあり、これらが終わったことだと美化したくないのが本音)


結婚後は義父母との関係で”?”と思うこともあった


今考えれば私が小さい頃、母や祖母やその友人女性たちの姿を思い出すと、


同じ(・それ以上)ようなことを感じてきたのだろうと思い当たる節がありすぎて哀しく感じるし、


昔から少しは良い方向に変わったとはいえ、


まだまだ現在進行形で起きていることだと感じ非常に残念な気持ちになる


少なくとも私より下の世代にはそんなことがあったなんて


微塵も感じさせないように


そんな風潮は私の周りだけでも私のところで止めようと思って日々生きている(大真面目に)


なので、主張すべきときは主張するし、


おかしいと思ったことは、たとえ権威・地位・年齢関係なく


指摘してきたしこれからもするつもりだ
(扱いにくいと思われているだろうが、もうどうでもよい)


やはり世の中の人々が持つ無意識(意識も)って


そういう風に先祖代々受け継がれてきたものなのだなぁとひしひしと感じる


この作品には映像として、そういった”違和感”がたくさん盛り込まれているが、


無意識に生きてきた一世代前の男性やその風景を見てきた今の男性たちは


その違和感に気づかず鑑賞を終えるかもしれない


…と思うとゾッとする


ちなみに男性として産まれただけで感じてきた違和感も勿論あると思うし、(それについてはわたしも無意識かもしれない)


わたしは単に男性が悪いと言いたいのではないということだけ前置きしておく


私が結婚後一番違和感を感じたのは、やはりお盆行事である


(一番を選ぶのが難しいと感じているのも、もはや絶望…)


お盆と言えば、お坊さんがお経を唱え終わった後、


お茶とお菓子が出てきてなんだかんだお坊さんのお話を聞き、


何か良くわからないお菓子の詰め合わせみたいなものをもらっていたと



うっすら記憶していたのだが、


義父母の実家に初めてお盆行事に参加したときに、


お茶やお菓子を用意するのは私だってことに気づいた


というかお勤めが終わった後、座っていた私はキッチンに呼ばれた


私たち(義母や旦那の兄弟の奥様)はそそくさとお茶とお菓子を人数分用意し、


お坊さんや義理の家族に渡した


それが終わったら、例の良くわからないお菓子の詰め合わせの作業を


これまた急いで人数分用意した

もちろんこの間、旦那や旦那の兄らや義父は何もせず座ってお菓子を食べているだけだ


ここまでそそくさと動いて、ん??なんかおかしいな?と感じ


また一つ心に小さな傷がついてしまった


”みんなで集まり、先祖をお参りする”それだけで良いじゃないか


なぜその気持ちだけで参加できないのだろう


もし私が故人だとして、その集まりをどこか上の方から見ていたなら、


正直ちっとも嬉しくないと感じるだろう(死後の世界は誰にも分らないが)


その後、私はお盆行事に参加するのは申し訳ないが控えようと思った


というのが、私が違和感を全身で感じた経験だ


”そんなこと?”と思う人もいるかもしれない

”私たちもやってきたから、それくらいやって当然だ”という人もいるかもしれない


”女性だから仕方がない”で終わらせられるかもしれない


でもなぜ私は女性として産まれただけなのに、


こんな違和感を感じないといけないのだろう


このことを旦那に話した時にも

軽い感じにとらえられたのが非常に絶望的だった


(私が故人だったら、化けて出ていると思う)


こうした違和感は出来事の大きい小さい関係なく、


普段言語化をすることなく

心に少しの傷を感じるだけで、静かにその場をやり過ごしてきたことが多い


今回この作品を通して私も何かしらのカタチで発信しても良いかと思い、

上手く言葉にならない部分が多いが

作品に心動かされた一女性として、

何か少しでも考えるきっかけになればと思い、記した次第だ


静かな絶望を感じたとしても、私は静かな声で発信したい


そうやって日々生きていこうと思う



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