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アフターコロナの豊さとは

2020年の激震は『COVID-19』から始まり、今でも全世界で猛威を奮っている。止まらない感染拡大、増え続ける死者数、全世界で巻き起こるロックダウン。

全世界がここまで1つの課題を等しく直面したことは歴史上見てもなかったと思う。そんな大事件が見えないウィルスにより巻き起こった。

日本でも『緊急事態宣言』という指令により、外出自粛となり、家で過ごす時間が格段に増えた。私自身、GWの沖縄・奄美大島の予定がなくなり、全ての仕事が在宅ワークとなり、1ヶ月で720時間あるうちの710時間はきっと家で過ごしたんじゃないかというくらい家にこびりついていた。
*スーパーとお散歩くらいしか外に出ていない

そういった時間を過ごしていく中で、どれだけ日常が幸せだったのか、どんな時間の積み重ねで自分の人生が形成されていたのか、これからはどんな時間を積み重ねていきたいのだろうか。というのを改めて見つめ直す機会となった。

みんなもそうではないだろうか?このコロナショックにより生まれた先行きが見えない『不安』と労働縮小や在宅勤務による『可処分時間』の増加により、社会の未来、企業の未来、そして自分の未来を考えたのではないだろうか?
Twitterでもこんなことを呟いてる。

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https://twitter.com/chima_5/status/1267297531374919681

この2ヶ月間様々なことを考えてきた。

プライベートでは、1年をどう過ごしたいかは見えているが、これからの人生という長期視点だと見えないことがたくさんあった。『誰とどこで何をして生きていくか。』生きるために必要なお金も場所も人もどうすれば自分にとって幸せって言えるのだろうかを考え続けた。
who/where/what思考

仕事では、人材業を行っているが、人材業界では大きく今回の打撃を受けている。いち早く全てのサービスをオンラインシフトをし、エージェントサービスをオンライン完結型にしたこと。そして、先月はウェビナーも開催し、サイバーさんとの共催では1300人以上の申し込みを頂き、第一回目は700人近くの体育会学生が閲覧した。
*中島調べてでアスリート支援業界No.1の集客数を獲得
*みんな褒めてくれ笑

CAイベント_2

https://career.cs-park.jp/cyberagent/

本当に2ヶ月間、家にいながらも走り続けた。*物理的ではなく、精神的に

ただ、私自身この時間を過ごす上で何度も立ち返った場所がある。それは『未来社会』と『豊さ』という言葉である。

仕事は稼がなければ、生きていけない。もちろんその言葉にはYESである。しかし、きっと未来を意識し、最高と思えるサービスを創り続けなければ『誇り』を持って生きていけない。きっと私の原動力はここにある。だから、こんな有事な時になっても利益以上に理念を重要視していた。

それがこの2ヶ月だった。

今日はこの2ヶ月間の間に思ったことを綴っていきたい。

タイトルはこの3つ
1.なぜその言葉が原点であるのか
2.アフターコロナが示す未来社会とは
3.その中で生まれる人生の豊さとは

私の考えを存分に盛り込みたいと思う一方、みなさん自身の人生を一緒に考えていけるようなnoteにしたいと思ってる。
ぜひ最後までお付き合いいただければ幸いである。


1.なぜその言葉が原点であるのか-『スポーツで日本の未来をつくる。』

仕事上、人材業を営んでいるが、その大前提にあるのが『スポーツ振興』という社の理念である。そんな等身大ではない、大きな夢を持ち創業したdscにジョインしてから10年。まだまだ、世の中の役に立ってるとは言えない売り上げではあるが、課題解決をベースに積み上げてきた『人材業』と『デジタルマーケティング』、そして『仲間』はきっと今後のdscを左右する財産となっている。

その中で人材業を担っているCSParkCareerの目的は『ニューアスリート』を育成することが命題となっている。スポーツ振興という目的の中でも『人から生まれるVALUEを信じ、解決することがミッションである。』

考えてみて欲しい。自分が大人になった時どれだけ本気でスポーツをやらせるのだろうか。
*つまり、子供も大事な将来のために高校・大学という大事な時間を『スポーツ』に投資させるかということだ

(1)スポーツの価値の低迷
私が高校卒業から10年以上が経ち、母校も大きく変わってしまった。文武両道を謳い、進学校都立の中、サッカーでもバスケでも野球でも様々な競技で都ベスト32や16という結果を出してきた。本当に今思えば、世間から誇れる結果ではないが、本気で仲間と衝突し、限られた環境・時間の中で成長し、夢を追い続けたかけがえのない時間だったと心から言える。
もちろん、犠牲にしたものたくさんある

・友人との遊ぶ時間-文化祭なども参加できなかった
・社会勉強の時間-アルバイトは皆無
・勉強の時間-現役中は野球命
学校の授業以外は野球をし、夏休みは朝8時前から夜7時くらいまでずっとグラウンドにいて野球に明け暮れていた。

たくさんの時間を犠牲にし、野球に賭け続けた。もちろん、辞めたくなったことも意味がないと思ったこともたくさんあった。
*プロに行くことはないし、別に金にならないし

けど、本当に甲子園は高校野球の夢の舞台であり、そこを目指すことにそれだけの価値があると心から言える。

しかし、今の母校はどうだろうか。悲しいことに部活の学業の優先順位が逆転し、彼らは甲子園を本気で目指すことよりもきっと学業で東大に行くことが優先となっている。中高一貫校となり、よりハイレベルな高校として生まれ変わった。

確かにそれもそれで素晴らしいことであり、否定する余地もない。

ただ、心から悲しく思う。
教育的観点において、スポーツの価値が偏差値に負けてしまったことを示しているのではないだろうか。在校生のみんなも学校の先生も親御さんもきっとスポーツは経験してるし、スポーツがもたらす教育的効用も知っているはずだ。しかし、そのスポーツよりも高校は、大学は、、、学業をしたほうがいい。そっちの方が自分の君たちの将来のためになる。
そう思っていることの表れだと感じた


 (2)なぜ、スポーツの価値は低迷したのか
体育会学生は今でも就活で有利だ。そう就活市場では言われており、今でも人気はある。一つ就職活動というものがゴールのはずなのに、社会では、スポーツを選択するのではなく、別の選択肢を選んでいる。

それはなぜだろうか?

1.学歴がわかりやすい定量評価の基軸
良い大学・良い企業。これが私が受けていた学業を行い、大学に行く理由である。何も社会を知らない私は大人になることは『責任を果たせる人間』になることであり、『安定を獲得』する切符を得ることだと思っていた。もちろん、キャンパスライフを楽しみたいなどの邪念もあったが、そういった楽しむ権利を得るためにも『学歴』が必要だった。
つまり、安心ある未来を掴むための切符はスポーツじゃなく学歴だったと言える。

2.スポーツがもたらす負の効用の恐れ
確かに認知能力≒学歴と解釈すれば、わかりやすい能力である。一方スポーツがもたらすのは非認知能力≒社会人基礎力のようなものであり、これも社会で活躍するために、より一層必要とされる人間になるために必要な能力である。しかし、そういった効用の裏側にあるのは負の遺産である。

・挫折から来る-恐れ、不信、不安
・絶対王政から生まれる-服従、無意志
・過度な競争から生まれる-裏切り、虐め、格差

スポーツから生まれる『弱者』の存在は絶対に存在する。本人としてもバスケが好きでもそれが怖い。親からしても、子供を預けられない。そんな歴史をスポーツは歩んできたからこそ、あえてスポーツから離れる人も多いのではないだろうか。

3.スポーツは今の時代に教育としての機能を担えてないリアル
教育機能とは何か?まずは学習指導要項を見ていきたい。

「生きる力」をはぐくむという
理念のもと、知識や技能の習得とともに思考力・判断力・表現力などの
育成を重視しています。(P6)

「知識基盤社会」が本格的に到来しようとしています。
これまでは、大量生産・流通・消費などのニーズに対応するため、与えられた情報を、
できるだけ多く短期間に理解し、再生し、反復することが期待されていました。
しかし、競争と技術革新が絶え間なく起こる「知識基盤社会」では、幅広い知識と
柔軟な思考力に基づく新しい知や価値を創造する能力が求められるようになります。(P8)

時代が変わり、国家として育てるべき人材が変わってきた。
そこに本当にスポーツは一役を担えてると言えるのだろうか?きっとここで言う新たな価値創造を育む環境がスポーツであると良い。

ただ、今のスポーツ現場で『価値創造』を行える環境がないと言える。
そこに存在するのは『指導者における課題の放置』である。

・指導者不足
・未経験の指導者
・属人化された指導

なかなか、スポーツ界のプラットフォームとして『指導』と言うものを整えてこなかったからこそ、現状の課題が浮き彫りになってるのではないだろうか?

もちろん、競技力を向上させるための指導はできるかもしれない。しかし、ここでの教育の定義は『価値創造』の経験である。

・今のチームの現状に対して、目標だけではなく、目的から考えること
・オンザピッチだけではなくオフザピッチにおける役割を持つこと
・その役割における定量的な目標を持ち、達成に向けて走ること

スポーツを通じて、人間的成長を求める指導者は確かにいるし、そのような指導者に巡り会えたこと、野球を教わったことは本当に掛け替えのない経験である。

しかし、まだまだオフザピッチに価値があることを訴求してくれる大人、その価値を定量的に目標へと変換してくれる大人、その目標に対してどう向かえばいいのか指導してくれる大人はなかなかいない。
この状況下でスポーツが『価値創造』を経験できる場所とは言えない環境となっている。

以上のことから、スポーツの教育的価値が低迷していると言える。スポーツは楽しいから好き、経済的影響力があるから良い。それだけではなく、国家が存続していく上で、国力を維持する上で、教育と言うもののプライオリティは高い。だからこそ、もっと教育的観点からスポーツの価値を高めていきたい。

この未来を変えたい。
若者がスポーツを志すこと、志した若者を育てる環境を用意すること、その若者夢を心から支援する大人が周りに増やすこと。

きっと私が描きたい未来はそんな未来。だからこそ、事業を立ち上げた。

そこから、6年。たくさん学び、たくさん挫折し、たくさんの経験をしてきた。まさに今は時代の転換期である。『未来社会』と『豊さ』の変化が起きるタイミングである。

だからこそ、もう一度何のために事を為すのか考えたかった。


2.アフターコロナが示す未来社会とは?

緊急事態宣言から約2ヶ月が経ち、東京でも宣言が解除された。
しかし、段階的解除であり、日常的な警戒は必要であり、今後の見通しは見えない。
だからこそ、今でも制限付き日常や新たな生活様式など今までとは違った暮らしを営むことが余儀なくされ、様々な形で自粛生活を継続してる方は多いだろう。
*私も旅行にも行けず、飲みにも行けず、唯一の楽しみは公園とラーメンという日々

この世界はどんな未来にたどり着くのだろうか?
きっと事実として1つあるのは『ワークスタイル』の変更だろう。

(1)できる事を知った『リモートワーク』
正直、仕事ができてしまった。そう感じたサラリーマンは多いのではないだろうか?
もちろん、金融系などいくつかの業界・業種はリモートができないもしくはしづらい環境だったかもしれないが、一般的には『できる』と実感した方は多いのではないだろうか?

様々な企業でリモート継続の兆候が見られ、コロナ後のワークスタイルが変更していく可能性が見て取れる。

きっとこれから生まれるのは『仕事の物理的概念の自由化』だと私は考えている。

(2)仕事に縛られていた人生
今までの私たちの仕事を中心とした生活様式はどんなものだったろうか?

・仕事があるから、会社の近くに住もう
・仕事があるから、結婚わ、、、
・仕事があるから、早めに帰ろう

物理、ライフステージ、時間など様々なことに制約をもたらすのが仕事であり、それが自然とあった。人生の中でのプライオリティは高いと言える。

それを否定したいわけではない。仕事は夢であり、義務であり、安定であるからこそ、優先的になってしまうのは自然なことである。
*私も優先順位は高い

しかし、これからの未来は『物理的制約』からの開放が起こり、そこにきっと人材は集まってくる。

東京に住む理由=仕事である方も多いのではないだろうか。

・仕事がなければ、地元に帰りたい
・仕事がなければ、島に住みたい
・仕事がなければ、海外に住みたい

仕事を理由に引越しができなく、結婚を諦めた友人もいた。
しかし、このアフターコロナではそれがなくなるのではないだろうか?

このコロナショック を機に急ピッチでリモートワークの整備が進み、各業務の生産性の維持もしくは向上を行ってきた。

きっと採用でもフルリモート可能求人が溢れかえり、一つの採用優位性を図る要素として掲示できる可能性は高い。
*サテライトオフィスが流行った理由もそれ。波乗りオフィスとかね

だからこそ、物理的に仕事に縛られない未来が訪れたとき、私たちの生活様式・生き方はどう変わるのだろうか?

(3)未来社会
まだ見えてない未来も多い。絶対的な未来なんてものはない。

しかし、1つ言えるのは『衣食住』の住がもっと自由になることは間違いなく言える。きっと東京の地価は下がるだろう。むしろ、地方都市などの地価は上がるかもしれない。もっとUターンIターンが流行り、住むという概念もアドレスホッパーのような固定な住居を持たないライフスタイルも増えてくるかもしれない。
*実際にNOWというサービスがローチンし、私もその物件に住んでる
https://nowroom.jp/

未来は見えないが、もっと自由になることは間違いない。
自由になる未来、私たちはどう生き、どう働き、どう暮らすのだろうか。

3.その中で生まれる人生の豊さとは

今まで『私の原点』と『未来社会』を語ってきた。
最後は豊さ。これが繋がる事を最後主張して、このnoteを終えたい。

 (1)未来の再定義
未来のことをもう一度別の言葉で定義したい。それは『不確実性の高い未来』であるということだ。

きっと皆さんも感じただろう。

・IT各社がここまで世界のGDPを世界経済を揺るがす存在になることを
・コロナショックにおける世界経済の低迷を
・人生の大半を過ごすワークスタイルの変化を

こんなにも世界は変わり、そして世界は弱く、脆く、安定などないということを感じた。一方、新たな生き方もできるという発見もあった。きっと生きる『場所』の変化は近い未来訪れるだろう。

だからこそ、きっと国もこのような未来になってることを希望と危機感も合せて『生きる力』という不確実性の高い未来においても対応できる、そして未来を創れる人材を育てたいという意志の表れだと思っている。

令和時代はまさに『不確実性の高い未来』の幕開けである。

(2)その時代において人を育てるということ
まだ、私がどこまで教育業で貢献できてるかはわからない。もっともっと優秀な教育者はたくさんいる。ただ、決して原点は忘れてはならないと自戒を込め、日々仕事へと向き合ってる。

その原点とは『全てはその学生の人生が豊かになり、この社会・経済が一歩前進させるための教育』であることだ。

だからこそ、教育と未来は繋がっている。学生の豊さを生み出すこときっと1つ目のゴールだろう。

では、その豊さとは何か。それは『人生の主体者』であり、『社会のハッシュタグ』を持つことである。

もちろん、日々美味しいご飯が食べれること、住む家があること、信頼できる家族・友人・仲間がいること全てが豊さの根底にあると私は考えている。しかし、ここで言う『生きる力』とは価値創造という意味も含まれてるからこそ、豊さという言葉を欲張りに解釈したい。

(3)人生の主体者と社会のハッシュタグ
きっとこれからの時代は幸せの定義が多様化し、みんな違ったものを求めるような時代になると考えられる。それは物理的に世の中が豊になったことを意味している。

・毎日美味しい水を水道水から飲めること
・安心に暮らせる家があること
・いつでもどこでもご飯を買えること

もちろん、全日本人がそのような生活が送れてるとは思わない。ただ、50年の前と比べて、明らかに経済成長し、暮らしが豊かになったことは間違いない。だからこそ、次はきっと『精神的な充足』を求めるだろう。

それが『人生の主体者』であることにつながる。きっと生きることにおいても住む場所は自由化され、各々が求める人生を体現しやすくなる。そして、仕事も同じである。比率的に安定やお金における職業決定ではなくなり、貢献(社会課題/可能性)などミッションというものをベースに職業選択をするようになるだろう。

自分の人生の方向性と社会が向かうであろう方向性の重なるところ。これがいわゆる『社会のハッシュタグ』であり、きっとそれを求め続ける人生になるんじゃないだろうか。

(4)人生の豊かさ
きっとこのコロナを経て、私たちはもっと豊かになると私は信じている。

それは最初に述べたように可処分時間が増え、自分の人生を考える時間をもらえたからこそ、自分を見つめ直す良いきっかけになったと考えている。

その時間を、その考えを是非とも活かして欲しい

・人生の主体者は自分であるということ
・世の中は豊かになり、選択肢も考えも自由になってること
・社会のハッシュタグを考えるということ

これは就活生にも、社会人にも共通して伝えたいことである。私はアスリート教育が専門であるが、根底の教育という概念は繋がっている。

だからこそ、主張したい、コロナを経て後ろ向きになるのではなく、もっと豊かな未来が待ってることを。このような幸せな時代に生きている私たち個人の意志と考えと行動によって人生も社会も変わるということを。


もっと自由に、もっと豊かに。一人一人が誇れる人生を生きれるそして、活かされる社会を作っていきたい。

#ゆたかさって何だろう

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